Wednesday, September 24, 2003

japanese tea

最近、家でお湯を沸かして飲むものが珈琲からお茶に変わりつつある。今も、外での食事のあと、家に戻って飲みたいなと思うのがお茶。普段は忙しさのせいもあってコンビニで買った「まろ茶120」とか飲むんだけど、休日は急須を使って一保堂の煎茶と玉露を飲む。でも、これが難しい。急須にお湯を注ぐ注ぎ方ひとつ(やさしくそぉっと注ぐ)、その温度ひとつ(沸騰から少し冷めるのを待ち、さらに湯飲みに一度入れて湯飲みを暖めてから注ぐ。)、さらに急須で待つこと約一分で湯飲みに注ぐ(急須を揺らすと苦味と渋味が出てしまう)あたりで、おいしかったり、なんか違ったり。要はまろやかさ。そこに苦味・渋味をいかにバランス良く淹れるか、のところが微妙にむずかしい(その意味では「まろ茶120」とかは全然物足りない)。香港で買ってきた烏龍茶も同様に温度と手際で全然違ってしまう。

お茶で思い出したが、少し前、「虎屋」の仕事を見て、京都の一保堂茶舗からサイト制作の依頼があった。でも、求められているものを作るには、あまりに予算感が違いすぎて(その予算では実現不可能)お断りになってしまったことは今でもとても残念に思う。個人的には今からでもやりたいと思う。それっぽいモノを作るのは誰でも出来るだろう。正直、今の一保堂のサイトはそういう感じだ。でも、僕は虎屋の案件のように、本当に良いものを良いものとして伝えられるだけのものを作りたい。そうでなければ僕にとっても僕に仕事を頼む人にとっても意味がない。でも、それには手間をかけなければ実現できない部分が大きい。いや、関わるからには実現してあげなければならない。そんな葛藤はどの案件でも常に僕の中にはある。

しかし、一保堂のサイトでdesign byみたいなことを出してしまう制作会社は勘違いしてる、と思うのは僕だけだろうか。design byみたいなことを出す時点でブランドというものを勘違いしてると思うし、こういう、作り手が黒子になりきれない曖昧なスタンスには僕は怒りさえ覚える。正直むかつく。それは一保堂の顧客としても関係ないじゃんという違和感がある。やっていいことと、やってはいけないことの境目をクライアントにとってどうなのかで考え、自分を律していくべきだと僕は思うし、そういうPR的なことは別の次元でやるべきことのはず。

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