Tuesday, March 19, 2013

Magazine "F5.6" vol.7

枻出版社から発刊されているカメラ専門雑誌「F5.6(エフゴーロク)」の第7号が発売されました。

この号の巻頭6Pにわたって、セイケトミオさんがプラハでDP3 Merrillを使って撮影された写真が掲載されています。

これらの写真は、DP3 Merrillのカタログで使用したものと撮影データとしては同じもので、それをベータ版のPhoto Pro5.5でモノクロ現像されたものです。

これまでこのセイケさんの作品ページはライカのカメラで撮られてきましたので、被写体は違うにしろ、以前の号の、それらの写真との違いは、見る方が見れば十分に読み取れるのではないかと思います。

シグマ側に立って言えば、まったく遜色ない、というのが僕の正直な感想です。もっと言えば、価格で言えば10倍するカメラでなくても同等の「作品」が撮れるということを証明してしまった、ということにもなり、これはDPシリーズの持つポテンシャルを信じてきた僕にとってはとてもうれしい出来事です。

煙突の写真はスヴォルノスティの廃墟の中から撮影した光景です。この場所に辿り着くまでにセイケさんと人気のない階段を恐る恐る登ったのが思い出されます。見開きのクラシックカーとの出会いも衝撃的でした。8Pはプラハの写真の神様が降臨した瞬間。そしてカタログにはカラーで掲載した最後の石畳と犬のカット。どの写真も、そこにいた僕は特別な思いを持ってしまい、胸が熱くなってしまいますが、モノクロームに仕上げられた素晴らしい写真を、ぜひ書店で手に取って見て頂けたらと思います。

それから自分ごとになりますが、同じ号に僕へのインタビュー記事が掲載されました。タイトルは「シグマDP3メリルという独創性 シグマが私たちの心を掴むもうひとつの理由 INTERVEW / 福井信蔵氏(アートディレクター)」という仰々しいものですが、シグマの山木社長の意を汲みながら、これまで行なってきたシグマのカメラ群へのブランディング方針と、その具体化について語らせていただきました。インタビューでは、「宇宙でも書けるスーパーボールペンではなく、最高の鉛筆」という一言に色々な思いを込めました。セイケさんの写真と合わせて読んで頂けたらと思います。どうぞよろしくお願いします。

Saturday, March 02, 2013

SIGMA DP3 Merrill : Prague

巨匠・セイケトミオさんに、SIGMA DP3 Merrillのデビューを飾る写真をお願いし、訪れることになった古都・プラハ。「これが現時点での最新です」と受け取ったDP3をプラハで手渡し、2012年11月20日から、セイケさんとの撮影が始まりました。問題の多いベータ機という未完成のSIGMA DP3 Merrillを渡されながら、あれほどの写真を残してくださったセイケさんへの感謝は言葉に出来ません。

自分の撮影メモを紐解くと、初日にこう書いています。
「初日メモ。憧れの写真家と過ごした12時間。朝8時半にホテルに来てくださり、そこからラウンジで2時間、まずはカメラを手渡して設定の確認と機能の説明をひととおり。そのあとDPシリーズに与えてきたコンセプトと、今回のプロジェクトの大きなフレーム、さらに清家さんの写真から受けている印象を、もう一度しっかりと話す。彼の写真を自分なりに分析し、その特徴とも言えるところを彼に面と向かって言うのは正直ものすごく緊張する行為だった。話している間じゅう、無表情に近い顔、強い目線。怖い。最後までじっと僕の話を聞いて、「すべて了解。アタマに入れました」という返事。ほっとする。そして次にセイケさんの口から出たのは、どうやってそれを実現するかという、具体的なプランと、出来なかったときのリスクについて。なんという理解力。なんという器の大きさ。写真家となってからプロモーションのために写真を撮るのは初めてだ、と聞いたが、それは本当なのかと思う。この人にかけるしかないという思いが正しかったと、この段階で思える。本当にありがたい。奇跡に近いと思う」。
後で理解したことですが、「プロモーションのために写真を撮る」かどうかなどという以上に、セイケトミオという写真家が、写真を撮るための姿勢と集中力は遥かに高いのです。あたりまえのことですが、これまですべてご自分で計画され、実行され、撮れたか撮れなかったの結果もすべて自分の責任となる。そうした、厳しくも本物の、「写真家」の持つレベルの高さの片鱗に触れながら、この時はまだその高みを理解出来ていませんでした。

さらに、以前、このブログに記したことがありますが、ベータ機での撮影はストレスの多いものです。プラハでのカメラも様々な問題を抱えていました。でも愚痴ひとつ言わず、「シグマの山木社長が納得してくれる写真撮らなきゃねー」と、にこやかに僕に接してくださいました。さらに僕に向けて様々な会話を通して、「写真を撮る前に、撮る自分を正すことが先」ということを教えてくださいました。カタログとサイトに記した「純朴という名の郷愁」のエピローグは、まさにそういうかたちで頂いた言葉をそのまま載せたものです。

自分ごとで言えば、セイケさんが撮影される後ろから、僕も初めてのDP3 Merrillを使いながら写真を撮りました。枚数だけはそれなりに撮りましたが、セイケさんが撮られた写真を見せてもらうたび、自分がいかにダメかを思い知らされました。セイケさんは見るまでもなくダメなのをご存知なので「どんなの撮れたの」とは言わずにいてくださる紳士なのです。その優しさのおかげで、僕は変に落ち込まず、あきらめもせず、投げやりにもならず、何がダメなのかを毎晩考え、自分なりに工夫しながら撮ることを続けました。でも翌日、同じ場所でセイケさんが撮られた写真を見て「すげー」と同時にガックリ…。それを毎日繰り返しながら、言葉にしがたいものを得ました。

そしてプラハでの撮影から東京に戻ってきて、「あ、世界が違う」と感じました。うまく言えませんが、「東京」から出発したのに、戻った「東京」が、出発した「東京」ではない。そんな感じです。眼が変わってしまった。見えているものの中で「見るべきもの」がハッキリと認識出来ている。まさに別次元です。完全に世界が変わってしまいました。「写真と言うのは自分を写すことだ」というセイケさんの言葉を、一生懸命、咀嚼しようと努めただけで、世界が変わってしまいました。

でも、これは、まさに僕が望んでいたことなのです。まさかこんなカタチで自分事に出来るとは驚きでした。ここまで自分を大きく変えるとは思っても見ませんでしたが、僕がSIGMA DP3 Merrillで写真を撮ってもらえませんかとセイケさんにお願いした時、セイケさんに託した「写真の持つチカラ」を、まさか、というほどに我が身に得ることが出来た。そして「この思いは、写真に対して意識のある人にはきっと伝わる」という確信にも繋がりました。これほどの強烈な経験は、僕にとってはアヴェドンを育てたブロドヴィッチとの出会い以来でした。

セイケさんが写真に残している「セイケトミオ」とは何か。写真とは何か。それに気づくには、ただただセイケさんの写真に無の心で対峙すれば、誰にでもわかることだと思います。そこで「わからない」のは、見る人の心の問題であって、セイケさんのせいではない。見る側がすべてを脱ぎ捨て、写真家が撮った時の「心」に触れようとすれば、僕が得たものと同じものをきっと得ることが出来ると思います。

セイケさんから得たもの。それを言葉にするのには、もう少しかかります。それほどに僕にとってそれは大切なものなのです。言葉に出来る時がきたらまた書きます。


■このエントリーに用いた写真について : 最初の写真は、プラハでずっと見続けたセイケさんの背中です。セイケさんは街中でも常に集中されていますが、さらに「撮る!」と決めた瞬間から、ものすごい集中が始まることを、いつも背中から感じていました。それを撮りました。二枚目の使いこまれたチューバの写真は、僕はきっと一生忘れないだろうな、という僕だけの大切な思い出が深く重なっています。それを心に置きながら現像したものです。撮ったときは無心でした。でも後に深く学ぶこととなった写真です。