Thursday, February 24, 2011

祿 ROKU

六本木ミッドタウンの、リッツ・カールトン東京の45階に、「祿 ROKU」というお店が明日オープンします。人間国宝級の方々の作品から、気鋭の作家、老舗の商品まで、日本の伝統工芸の最高峰を扱うセレクトショップです。明日のオープンに向けてティザーサイトを作りました。「祿 ROKU」は、とても小さなお店なのですが、扱うものは、どれもこれも素晴らしい逸品ばかりです。日本人としてこのお店に関われてとてもうれしい仕事でした。六本木に来られたら、ぜひ足を運んでみてくださいね。

[祿 ROKU] Website Credit:

General Producer: Hitoshi Tomoda
Branding Producer: Keiko Takahashi

Creative Director: Maiko Hotta
Production Manager: Izumi Oku
Copy Writing: Yumi Kato
English Creative Writing: Stephen Benfey

Art Direction / Design: Shinzo Fukui
Logotype Design: Shigeyuki Sakaida
Photographer: Rowland Kirishima
Website Authoring: Mahiro Komura

ROKU website > www.roku-shop.com



Wednesday, February 16, 2011

The Sigma SD1 website

We have just created a content for The Sigma SD1, and have launched it as a microsite for debut at CP+. The Sigma SD1 is a camera that capture the truth. It was unparalleled in the past. Coming soon.

いま、シグマのSD1という、まったく新しいコンセプトを持ったデジタル一眼レフカメラのためのコンテンツを手がけています。このカメラは、過去に類を見ないような濃密な写真を記録します。カメラの発売は、もう少し先になりますが、素晴らしいカメラがまもなく誕生します。ちなみにこのエントリーのサムネイルをクリックして表示される写真はbloggerのデフォルトのJPEG圧縮によって著しく画質が低下していますので、誤解のないようにお願いします。SD1で撮影し、それをPhoto Proで現像したオリジナルの写真は、眼を見張るような高画質の写真です。CP+で、プリントでご覧頂いた、それらの劣化のないフルサイズの写真データは、いずれ見て頂けるようにして行きますので、しばらくお待ちください。

The Sigma SD1 website > www.sigma-sd.com/SD1/






















Sunday, February 13, 2011

Shooting for The Sigma SD1

SIGMA SD1 Special Site

CREDIT:
Producer: Kazuto Yamaki (Sigma Corporation)
Art Director: Shinzo Fukui (Shinzo Graphica & Associates Inc)
Photographer: Rowland Kirishima (Donna Models)
Stylist: Yuki Mayama (Avgvst International)
Make Up: Rika Matsui (A.K.A co.ltd.)
Hair: hanjee (K.K.A co.ltd.)
Model: Andrea Pearl (Donna Model Management)

Special Thanks:
Teru Kuwayama, Aiko Adachi, Maiko Hotta, Tom Ogino, Daisuke Hariyama,
Yumi Kato, Stephen Benfey, Masaomi Kurihara, Maki Ogura, Kashiwazaki Yusuke,
Shinobu Yamashita, Junko Shimazaki, BeBe and LANVIN JAPAN

























Monday, January 17, 2011

阪神大震災

いま、これを書いている三時間後にあたる1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒。この時間は、忘れられない。twitterでその記憶を思いおこしながら連続で呟いた。

1995年の今日、神戸で何があったのかを、どうか見て欲しい。 http://bit.ly/fVqPOW みんな精一杯だった http://bit.ly/gunwJQ 1995年のちょうど今ぐらいの時間は翌日午後のプレゼンのために大阪の事務所でデザインしながら徹夜してた。明け方どっかーんと来て、揺れが延々止まらなくて地べたに這いつくばった。沢山の人が死んだ。火葬場が足りなくなった。合掌。

関西人よ、あの震災のことを、どうかずっとずっと語り継いでおくれ。それが亡くなった方々への供養になると思う。誰もあんな地震が来るとは思ってなかった。でも起こった。えーって思う間もなく圧死した人々のためにも、忘れないで祈り手向けてあげて欲しい。





揺れが収まってあちこち安否確認してたら突然電話が通じなくなった。テレビつけたらこれが流れてた。唖然とした。一瞬、これは戦争だ、ミサイル打ち込まれたと思った。 http://bit.ly/gLUUHr とにかく情報が足りなかった。でも民放テレビのヘリコプターは正直消えてくれって思った。ヘリの騒音で助けを求めてる人の声がかき消されてた。ヘリに向かって瓦礫を投げつける人も沢山いた。多くのための報道という意味と目前の命が天秤にかけられた瞬間。忘れられない。

1995年は日本ではインターネットは始まったばかりだった。僕はすでにアカウントを持ってたけど、誰もかれもが電話しかなかった。明石に住む友人は、神戸が不通になったので北に登って日本海側から南下して大阪まで一日がかりで辿り着いた。インフラはぐちゃぐちゃだった。

揺れが収まると、みんな自分が生きてるってことを喜び合った。でもその直後にどう生き続けるかに気づいた。みんなコンビニに走った。あっという間にすべて売り切れた。大阪から水やコメを担いで神戸に向かった。でも西宮からは徒歩になった。神戸についてあまりの惨状に泣いた。北野の異人館倶楽部でレストランをしてた友人は店に座り込んでた。何もかもが壊れてた。コメを手渡すと「炊くよ」って言って鍋でご飯を炊いてくれた。それをおにぎりにして三宮に持って行った。水が足りなかった。みんな喉が乾いてた。ものすごいなって思ったのは便所だった。うんこ。小学校の便所はすごかった。水が流れない便器。でも被災した人たちはうんこする。救援物食べるから当然うんこ出る。でも処理出来ない。文字通り山盛り。壁までうんこ。壮絶だった。

震災で亡くなった方々の魂よ、どうか安らかなれ。合掌。

そういえば、ウチの父方の婆ちゃんは、震災の後に大往生したんだけど、関東大震災と阪神大震災の両方体験してたってのを死んでから聞いてすげーって思った。婆ちゃんのとこに行くと必ず神戸ビーフ焼いてくれた。懐かしい。トイレの神様聞いて思い出す婆ちゃん。

いずれ東京で、あの規模の地震が起こると思うと、ほんと切ない。僕はその地震で死ぬかもしれないし生き延びるのかもしれない。それよりも確実に阿鼻叫喚が起こり、それが連鎖してあらゆるものの価値がリセットされる。関西人は経験済みだけど、それに東京人は耐えられるのかわからない。地震は天災。でも阪神大震災の被害は単に天災と言うにはひどすぎた。その後、法的にも色々整備されたけれど、備え万全かと言えば、ほとんどの人が無防備って状態だと思う。おまいら、せめて避難場所ぐらいは確かめとけ。

Friday, December 31, 2010

デング熱

表題の「デング熱」、報道では感染する旅行者が増えているとのこと。実は僕も、ちょうど一年前に発症し、かなりキツい体験だったので、記しておこうと思います。

経緯を簡単に説明すると、昨年のクリスマス直前からバリ島に撮影に行きました。普段の撮影では、その土地ごとに存在する独特な世界観を記録しようという意図が中心で、動き回りながら撮ることが多いのですが、今回の撮影は、いつもよりもテーマを絞る必要があったので、到着した翌日からジャングルに分け入り、三脚を立てて被写体が現れるのを待つ、という感じでした。リゾート地として知られるバリ島ですが、ホテルやヴィラの敷地を一歩出ると、そこには信じられないほど、命あふれる大自然が存在しています。その圧倒的な自然に包まれて、じっと息を潜めて自分の気配を消していたわけですが、そのときにデング熱を媒介する蚊に刺されてしまったようです。

そう、デング熱は蚊によって感染する病気です。でも、潜伏期間があり、蚊に刺されたら即時に発症するわけではありません(というのは、発症してからドクターの説明で知りました)。なので「痒いわぁ」とか刺されたところをポリポリ掻きつつ、全然平気なつもりで普通に撮影のスケジュールをこなしました。

さて、年が明けて、ジャングルに分け入っていたウブドのヴィラから、定宿のスミニャックの「The Legian」に移動し、「やっぱ海は大きいなぁ」とか言いながらインド洋に沈む夕日を眺めながらカクテル飲んだりしてホゲホゲしてたんですが、翌日の午後から、なんか熱っぽいというか、風邪を引いたかも…というような、胸にもわもわした違和感も感じたので、クリニックに風邪薬をもらいに行きました。

その時の症状は、まさに風邪でした。風に当たりすぎたのかな…という程度に思っていて、ビタミンと風邪薬をもらって「水を沢山飲んでね」ということで、「はいはい」と、安易に考えていました。ところが薬を飲んでも症状は一向に治まらず、ときどき強い悪寒に見舞われながら微熱が続きました。そして、その夜に、突然に、とんでもない高熱が出ました。

気温32度のバリにいるのに、もう寒くて寒くて仕方ないのです。もちろん部屋のクーラーは止めました。それでも寒いのでテラスにある椅子のところに出てみても、ガタガタ震えるほど寒い。これは高熱が出てるんだと思って、東京を出発する時に着ていた厚手のウールのセーターを着てみましたが、それでも寒い。仕方ないので、その上にバスローブを羽織り、さらにホテル仕様の大きなバスタオルを5枚も使って身体中を包んでみましたが、それでもガタガタ震える…というような高熱でした。自分の過去の体験と照らし合わせてみると、たぶん40度を超えていたんだと思います。

翌朝、ふらふらになりながら再度クリニックに行って「たすけてくれー」と、その症状をドクターに伝えたところ、「蚊に刺されたりしたか?」と聞かれ、「ジャングルでいっぱい刺された」と答えながら腕や足の刺された箇所を見せるとドクターの表情が一変し、聞き取れないインドネシア語で看護婦さんと真剣に討議っぽいモードになりました。

僕としては、とにかく解熱剤を注射してくれぃ!という感じだったのですが、ドクターが「マラリアかデング熱の可能性があるので、いますぐ血液検査をしたほうがいい」と突然言うわけです。「えぇマラリア!」と、ちょっと驚きました。さらに「その検査はこのクリニックでは出来ないので、デンパサールの病院で行う。今から段取りするから」と真顔で言うわけです。

まじかよと思いましたが、みんなとても親切で、言われるままに手配された車に乗って「SURYA HUSADHA」というデンパサールの病院に行きました。病院には外国人向けのインターナショナルフロアーがあり、とても清潔で、治療設備は整っているような感じでした。ロビーまでお医者さんが来てくれて、ひと通りの聞き取りを終えたのち、とても広い個室に通されて、そこのベッドに寝かされ、血液を採取。検査結果が出るまでの間は、ベッド正面の大きな液晶テレビでCNNを見てました。

で、血液検査の結果、血小板が非常に減っているので、明らかに「デング熱」に感染している、という診断が下されました。しかし、そう、ここからが本題なのですが、「デング熱」の治療方法はないのです。文字通り、「無い」って言われました。マジかよって思ったのですが、なにも無いのです。発症してしまったら、もう身体が持っている免疫力と基礎体力と、ウイルスとの勝負しかない、という恐ろしい病気です。

幸いなことに、僕は自分の持っている免疫力のおかげで、翌々日には熱も序々に下がりはじめ、失血熱に進行せずに生還できました。でも、デング熱は、高熱が出るだけではなく、血小板が無くなっていく病気ですから、免疫力がない場合は、出血が止まらなくなって死に至ります。帰国してから、東京の病院で血液検査をしたところ、血小板が異常に減少していて通常の1割まで減っていました。みなさんも、海外では、どうか、蚊に刺されない対策をしてくださいね。