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Thursday, September 05, 2013

Timeless Time


目黒のブリッツギャラリーでの、セイケさんの新作の写真展が、いよいよ迫ってきました。会期は2013年9月14日(土)から12月7日(土)までです。今回の個展の写真は、すべてプラハで撮影されました。これらの写真が撮られた時、そのすべてを僕はセイケさんの背中越しに見ていましたので、感慨深い写真展となりそうです。 9月15日(日)の午後には、僕とセイケさんでトークイベントを行います。誰でも撮れそうなのに、決して撮れないセイケさんの写真。それは何なのかに迫ってみたいと思います。お時間がありましたら、ブリッツギャラリーのサイトからお申込みください。セイケさんとの、プラハでの撮影については、こちらに記しています。

Tuesday, March 19, 2013

Magazine "F5.6" vol.7

枻出版社から発刊されているカメラ専門雑誌「F5.6(エフゴーロク)」の第7号が発売されました。

この号の巻頭6Pにわたって、セイケトミオさんがプラハでDP3 Merrillを使って撮影された写真が掲載されています。

これらの写真は、DP3 Merrillのカタログで使用したものと撮影データとしては同じもので、それをベータ版のPhoto Pro5.5でモノクロ現像されたものです。

これまでこのセイケさんの作品ページはライカのカメラで撮られてきましたので、被写体は違うにしろ、以前の号の、それらの写真との違いは、見る方が見れば十分に読み取れるのではないかと思います。

シグマ側に立って言えば、まったく遜色ない、というのが僕の正直な感想です。もっと言えば、価格で言えば10倍するカメラでなくても同等の「作品」が撮れるということを証明してしまった、ということにもなり、これはDPシリーズの持つポテンシャルを信じてきた僕にとってはとてもうれしい出来事です。

煙突の写真はスヴォルノスティの廃墟の中から撮影した光景です。この場所に辿り着くまでにセイケさんと人気のない階段を恐る恐る登ったのが思い出されます。見開きのクラシックカーとの出会いも衝撃的でした。8Pはプラハの写真の神様が降臨した瞬間。そしてカタログにはカラーで掲載した最後の石畳と犬のカット。どの写真も、そこにいた僕は特別な思いを持ってしまい、胸が熱くなってしまいますが、モノクロームに仕上げられた素晴らしい写真を、ぜひ書店で手に取って見て頂けたらと思います。

それから自分ごとになりますが、同じ号に僕へのインタビュー記事が掲載されました。タイトルは「シグマDP3メリルという独創性 シグマが私たちの心を掴むもうひとつの理由 INTERVEW / 福井信蔵氏(アートディレクター)」という仰々しいものですが、シグマの山木社長の意を汲みながら、これまで行なってきたシグマのカメラ群へのブランディング方針と、その具体化について語らせていただきました。インタビューでは、「宇宙でも書けるスーパーボールペンではなく、最高の鉛筆」という一言に色々な思いを込めました。セイケさんの写真と合わせて読んで頂けたらと思います。どうぞよろしくお願いします。

Saturday, March 02, 2013

SIGMA DP3 Merrill : Prague

巨匠・セイケトミオさんに、SIGMA DP3 Merrillのデビューを飾る写真をお願いし、訪れることになった古都・プラハ。「これが現時点での最新です」と受け取ったDP3をプラハで手渡し、2012年11月20日から、セイケさんとの撮影が始まりました。問題の多いベータ機という未完成のSIGMA DP3 Merrillを渡されながら、あれほどの写真を残してくださったセイケさんへの感謝は言葉に出来ません。

自分の撮影メモを紐解くと、初日にこう書いています。
「初日メモ。憧れの写真家と過ごした12時間。朝8時半にホテルに来てくださり、そこからラウンジで2時間、まずはカメラを手渡して設定の確認と機能の説明をひととおり。そのあとDPシリーズに与えてきたコンセプトと、今回のプロジェクトの大きなフレーム、さらに清家さんの写真から受けている印象を、もう一度しっかりと話す。彼の写真を自分なりに分析し、その特徴とも言えるところを彼に面と向かって言うのは正直ものすごく緊張する行為だった。話している間じゅう、無表情に近い顔、強い目線。怖い。最後までじっと僕の話を聞いて、「すべて了解。アタマに入れました」という返事。ほっとする。そして次にセイケさんの口から出たのは、どうやってそれを実現するかという、具体的なプランと、出来なかったときのリスクについて。なんという理解力。なんという器の大きさ。写真家となってからプロモーションのために写真を撮るのは初めてだ、と聞いたが、それは本当なのかと思う。この人にかけるしかないという思いが正しかったと、この段階で思える。本当にありがたい。奇跡に近いと思う」。
後で理解したことですが、「プロモーションのために写真を撮る」かどうかなどという以上に、セイケトミオという写真家が、写真を撮るための姿勢と集中力は遥かに高いのです。あたりまえのことですが、これまですべてご自分で計画され、実行され、撮れたか撮れなかったの結果もすべて自分の責任となる。そうした、厳しくも本物の、「写真家」の持つレベルの高さの片鱗に触れながら、この時はまだその高みを理解出来ていませんでした。

さらに、以前、このブログに記したことがありますが、ベータ機での撮影はストレスの多いものです。プラハでのカメラも様々な問題を抱えていました。でも愚痴ひとつ言わず、「シグマの山木社長が納得してくれる写真撮らなきゃねー」と、にこやかに僕に接してくださいました。さらに僕に向けて様々な会話を通して、「写真を撮る前に、撮る自分を正すことが先」ということを教えてくださいました。カタログとサイトに記した「純朴という名の郷愁」のエピローグは、まさにそういうかたちで頂いた言葉をそのまま載せたものです。

自分ごとで言えば、セイケさんが撮影される後ろから、僕も初めてのDP3 Merrillを使いながら写真を撮りました。枚数だけはそれなりに撮りましたが、セイケさんが撮られた写真を見せてもらうたび、自分がいかにダメかを思い知らされました。セイケさんは見るまでもなくダメなのをご存知なので「どんなの撮れたの」とは言わずにいてくださる紳士なのです。その優しさのおかげで、僕は変に落ち込まず、あきらめもせず、投げやりにもならず、何がダメなのかを毎晩考え、自分なりに工夫しながら撮ることを続けました。でも翌日、同じ場所でセイケさんが撮られた写真を見て「すげー」と同時にガックリ…。それを毎日繰り返しながら、言葉にしがたいものを得ました。

そしてプラハでの撮影から東京に戻ってきて、「あ、世界が違う」と感じました。うまく言えませんが、「東京」から出発したのに、戻った「東京」が、出発した「東京」ではない。そんな感じです。眼が変わってしまった。見えているものの中で「見るべきもの」がハッキリと認識出来ている。まさに別次元です。完全に世界が変わってしまいました。「写真と言うのは自分を写すことだ」というセイケさんの言葉を、一生懸命、咀嚼しようと努めただけで、世界が変わってしまいました。

でも、これは、まさに僕が望んでいたことなのです。まさかこんなカタチで自分事に出来るとは驚きでした。ここまで自分を大きく変えるとは思っても見ませんでしたが、僕がSIGMA DP3 Merrillで写真を撮ってもらえませんかとセイケさんにお願いした時、セイケさんに託した「写真の持つチカラ」を、まさか、というほどに我が身に得ることが出来た。そして「この思いは、写真に対して意識のある人にはきっと伝わる」という確信にも繋がりました。これほどの強烈な経験は、僕にとってはアヴェドンを育てたブロドヴィッチとの出会い以来でした。

セイケさんが写真に残している「セイケトミオ」とは何か。写真とは何か。それに気づくには、ただただセイケさんの写真に無の心で対峙すれば、誰にでもわかることだと思います。そこで「わからない」のは、見る人の心の問題であって、セイケさんのせいではない。見る側がすべてを脱ぎ捨て、写真家が撮った時の「心」に触れようとすれば、僕が得たものと同じものをきっと得ることが出来ると思います。

セイケさんから得たもの。それを言葉にするのには、もう少しかかります。それほどに僕にとってそれは大切なものなのです。言葉に出来る時がきたらまた書きます。


■このエントリーに用いた写真について : 最初の写真は、プラハでずっと見続けたセイケさんの背中です。セイケさんは街中でも常に集中されていますが、さらに「撮る!」と決めた瞬間から、ものすごい集中が始まることを、いつも背中から感じていました。それを撮りました。二枚目の使いこまれたチューバの写真は、僕はきっと一生忘れないだろうな、という僕だけの大切な思い出が深く重なっています。それを心に置きながら現像したものです。撮ったときは無心でした。でも後に深く学ぶこととなった写真です。

Wednesday, February 27, 2013

54歳になりました。

気がつくと誕生日を迎えていました。「おめでとう」と言ってくださった皆さん、ありがとうございます。天気も良かったので、DP3 Merrillを片手にグリィと一緒に散歩に行き、穏やかな時間を過ごすことができました。

歳を刻むこの一年、2012年の2月24日からの一年を振り返ると、沢山の経験の思い出が自分に刻まれています。そうした経験を与えてくださったことに感謝の気持ちでいっぱいです。

2009年、50歳になったとき、やりたいことが加速度的に増えている、と書いています。その増えていた「やりたいこと」のひとつに、「ちゃんと写真を撮れるようになる」がありました。「ちゃんと」という言葉は曖昧ではありますが、今日の自分と対峙してみると、この3年で得た経験の中で、色々なものを自分の中に落とし込めたような気がしていますし、その「ちゃんと」を、本物の「ちゃんと」にしていく道筋も得たようにも思います。

2012年、モロッコでの撮影で僕は「人を撮る」に意図的にフォーカスしました。そこで得たものは「物語」の重要性。そしてそれはオレゴンでの撮影にも強く反映され、ポール・タッカーさんとの対話によって「象徴性」とは何かを得ました。そして昨年最後のロケとなったプラハ。セイケ・トミオという偉大な写真家との時間によって、ただ「撮る」という行為を繰り返すだけでなく、「何を残すのか」をしっかりと考えるようになりました。そしてその考えは、自分の生き方そのものにも強く影響を与えたようです。

人は「誰かにその存在を求められている」ことを頼りに、明日も生きて行こうとするのでしょう。しかし歳を重ねていくことで、必ずその求めは少なくなって行くのだとも思います。ただ、ここで言いたい「求められること」とは、忙しい中に自分を置いているのかどうか、ということではありません。そういう居場所を指すものではないのです。そうではなく、何を残して行くか。うまく言えませんが、のちに求められるものを残せるのか、なのです。

そこには誰かと較べて、というような尺度はありません。自分で何かを残していく。それを決めるのは自分です。得たものを、得ただけで終わらせずに「残す」。自分が信じるものを残して行く。とても抽象的な言い方ですが、それが自分のこの先の生き方の土台に据えるべきこと、と、そういう気がしています。

グリィに「風が冷たくなってきたし、帰ろうか」と言いながら、駐車場に向かって歩いているとき、振り返ると、落ちんとする陽光が照り返しながら自分とグリィに向けて輝いていました。もう一度背筋を伸ばし、明日を生きて行きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。


Friday, June 26, 2009

Michael Jackson


マイケル、長い間、ありがとう。

Friday, May 15, 2009

Talk at Apple Store Ginza: 16th May

明日の16日(土曜日)の午後2時から、Apple Store 銀座店で、「アートディレクター 福井信蔵が語る SIGMA DP2 の世界」と銘打たれたSigma DP2についての講演やります。

内容は、僕がこれまでシグマ社のカメラを使って撮ってきた写真(未公開がたくさんあります)を数多く見て頂きながら、僕なりに思っている「写真」というものの考え方、ってあたりを色々と話す、って感じになる予定です。

あと、シグマ社の方々に「これはどうなってんの?」と、直接色々聞けるチャンスかもしれません(笑)。てことで、よかったら聞きにきてください。よろしくお願いしまーす。

●追記:無事に終えることが出来ました。Apple、Sigma社、そして来てくださった皆さん、本当にありがとうございましたー!

●追記:友達が撮ってくれた写真を追加しました。Appleストアー内は基本的に撮影・録画・録音禁止なので、わざわざPressパスをもらってくれた上で撮ってくれました。剛ちゃん、ありがとうね。

Monday, April 27, 2009

豚インフルエンザ感染マップ

この地図は、メキシコから始まった豚インフルエンザの感染をGoogle Map上にプロットしてくれています。もうすでに全世界に広がり、どんどん進んでいることが実感できます。

ジェット機を使った移動速度があたりまえの現在では、完全なる隔離施策の実施というのが、もう、ほとんど不可能なのだということも、この感染が広がるさまを見ると、恐ろしいことではありますが、事実として受け止めていかなければなりませんね。

日本はまだ島国ですから、空港というポイントで重点的にガードが可能なのかもしれませんが、大陸はその点では、もう防ぎようがないのではないでしょうか。さらに、もう段階としては、感染の進入を防ぐ、という段階ではなく、感染者が増え、パンデミックが起こると想定した上で、どのように対処していくのかを考える段階に入ったのだと思います。この連休を使って、多くの日本人が海外に渡航しているわけですから、彼らが帰国する来月までに、どこまで対策を立てられるかが、豚インフルエンザとの戦いの勝負を分ける気がします。 | View H1N1 Swine Flu in a larger map

■追記:このエントリーを書いた後に、すでに東京の都心に豚インフルエンザのウィルスが持ち込まれた可能性が高いというニュース。そもそも「任意」の意味がわからないのだが、空港は、メキシコ帰りの便で、明らかに熱出してる人間を止められないザルな水際でしかない、ということがハッキリした。ニューヨークタイムズはタミフルが効くと言っている(日本の新聞は、こういう大切なことを全然流さないので腹が立ちます)ので、ドラマの感染列島のようなパンデミックには至らないような気もするが、手当てが遅れれば死亡するウィルスなので、油断できません。僕が一番心配なのは、東京に住む日本人ではなく、保険証などを持たない多くの外国人たちの間で感染が広がることです。彼らはギリギリまで我慢するでしょうし、その我慢が、多くの感染者を生んでいくことに繋がります。身分保障など関係なく、また無料で、とにかく全員処置していくという姿勢で、このインフルエンザに対していって欲しいと思います。

Friday, April 10, 2009

都下水道局ワッペン作り直し問題について

経緯としては、「水をきれいにするイメージを出したい」という思いを持っていた東京都下水道局の担当の人が、「胸ワッペン」というアプリケーションに、その思いをぶちまけてしまい、ロゴタイプというベイシックエレメントに、デザインガイドラインでは禁止されている表現を指示してしまった。さらに「ガイドラインをちゃんと確認しなかった」ということで懲罰を受けられたというお話です。(上の画像をクリックするとFNNのサイトで報道された動画ニュースが見れます)。

で、僕はもう、デザイン業界を代表してっていうぐらいの勢いで、その懲罰を受けてしまった担当の方にお詫びしたい、という気持ちになります。新聞なども「税金をドブに捨てたムダ遣い」とか、石原都知事が「役人はダメだ」とか、とにかくボコ殴りっぽくお役所が叩かれていますが、これは、本来はデザインガイドラインを作った側、つまり東京都下水道局のCIを担当した側(どこが手がけたのか知りませんけど)の責任です。

僕も多くの企業のデザインガイドラインを作ってきました。その経験上で言うと、エレメントをどのように使っていくかを規定したデザインガイドラインを作成し、それを各所に配布しただけでは、これと同じような事態が、それこそ無数に発生します。もう考えられないような「似て非なる」デザインが、雨後の筍のように次から次へと生成されていくのです。ですから、ビジュアルコミュニケーション面でCIを完結していくには、問題が発生する度ごとに、その個々の現場の要求に応えながら、根気よく整合性を取って行く必要があります。

ですので、僕は必ず「CI規定配布から最低3年は、絶対に現場から目を離してはいけない。そのためのプロジェクトチームを作り、継続的に課題と解決を話し合っていく組織を作ってください」とお願いします。一般的な企業のアイデンテティでさえも、それが必要なのに、さらに税金を使う組織のアイデンテティを手がけるのであれば「間違ったモノを作らないようにするための配慮」は、そのままリスク・マネジメントとも直結しているわけで、絶対に「アイデンテティを作り、アプリケーション規定を行って、ガイドラインにまとめて納品」というところでプロジェクトを終了させてはいけないわけです。そこがちゃんと出来ない会社が多いというのは、デザインそのものの価値を下げてしまうので、業界全体の問題として、一人でも多くの人に、こうした問題を起こさないために、何をしていかなければならないかを考えてもらいたいと思います。

一方、こういうことが起こってしまう背景には、成果物(納品物)ベースで、見積もりや請求・支払いが、一般的な日本の商習慣となって根付いているところにも起因しているのではないかと思います。企業でも「納品物はなになのか?それにこの見積もりは見合うのか」というところで判断され、「問題を起こさないためのノウハウや継続的なサジェスチョン」という目に見えないものは「サービス」と位置づけられてしまうことが少なくありません。お役所は言わずもがなです。これを変えていくためには、ソフトを提供する側が、もっともっと「デザインというのは、ここまですごいんだな」という状態を具現化していくしかありません。僕はそこに向けて今日も頑張っています。みんなも頑張れ!



■追記:石原都知事のお言葉。「バカじゃねえか。本当にたまげた。骨身に染みて反省するよすがにさせる」。お役人は大変だなぁ…。そんなに悪いことだとしらないでやっちゃったんだし、石原さんの何の琴線に触れたかわからないけど、そこまで怒らなくてもいいじゃんと思うな。ここまでボロクソに言うなら「東京オリンピックみたいな、勝てない可能性の高い構想に、いくら使ってんだ、このやろう。その金、全部、小学校の校庭緑化に使いやがれ!」といいたくなる(もう言ってるけど)。



■追記:石原都知事のお言葉(朝日新聞)。asahi.comに別のニュアンスの報道があった。「バカだね。税金に慣れている役所はこわい。東京の下水がきれいと感じる、むしろいいデザインだ。偉い人が規格に合わないと言ったのだろう。取り返しがつかず申し訳ない」。とのこと。石原都知事は「税金を無闇に支出した」というところで琴線に触れたようだ。しかし、ここで知事が「偉い人」と呼んでいる存在こそが問題であり、僕がこのエントリーを書いた理由である。アイデンテティデザインに関わる者は「偉い人」になってはいけない。あるべき姿勢はその真逆であって、限りなく黒子に徹するような姿勢を保つべきだ。そもそも偉そうに指示するだけではアイデンテティは存在する意味を持たない。使っていく人(今回ならお役所の方々)が、そのアイデンテティを正しく「自分のもの」と認識してこそ、アイデンテティはその存在意義を持つ。僕たちは、アイデンテティをデザインすることを目的とせず、そういった理解に向けて「奉仕」して行くのが仕事の本質なのだ。



■追記:東京都下水道局のオフィシャルサイトが二つあるんですけど…。謎です。ていうか、これこそ税金のムダ遣いっぽい。これは「水道局」と「下水道局」の違いでした。僕の勘違い。すみません。
東京都水道局
東京都下水道局公式ホームページ



以下、経緯などを考察したgooの記事(日本のニュースサイトは、過去の記事をアーカイヴせず、すぐにリンク切れになるので転載する)。



制服ワッペン2万枚作り直し、3400万どぶ…都下水道局
読売新聞 2009年4月10日(金)03:06

 東京都下水道局が昨年、制服に付ける都のシンボルマークを添えたワッペンを2万枚作製したところ、シンボルマーク使用に関する内規に反したとしてこれを使わず、新たに約3400万円をかけて、ワッペンを作り直していたことがわかった。

 デザインは組織名の下に5センチ余の波線を付けたシンプルなものだったが、この責任を問い、都は担当幹部2人を訓告処分にしていた。内規を 杓子 ( しゃくし ) 定規に解釈した「お役所仕事」の典型とみられ、公費の支出の在り方に批判が集まりそうだ。

 都下水道局では、所属する計約3000人の職員用に、予備を含めて計約2万着の制服を作っているが、1978年から同じデザインだったため一新することにし、右胸に付けるワッペンも新たに作ることにした。

 ワッペン(縦2・5センチ、横8・5センチ)はシリコン製で、イチョウ形をした都シンボルマークの横に局名を記し、「水をきれいにするイメージを出したい」との願いを込め、その下に水色の波線(約5センチ)を添えることにした。職員が考案したものだった。

 ところが、約2万枚のワッペンが完成し、一部は制服への縫い付け作業が始まった昨年11月に開いた局内の会議で、ワッペンのデザインが、シンボルマークの取り扱いについて定めた都の内規「基本デザインマニュアル」に抵触する疑いが浮上。内規には、マークの位置や文字との比率などが細かく記載されており、誤った使用例として「他の要素を加えない」と規定。同局では今回、この規定を厳格に解釈したという。

 ただ、この規定は例外も認めているが、同局では、波線部分を取り除いて作り直すことを決定。制服を含めた費用は当初、約2億1300万円だったが、新しいワッペンの作製費と縫い替えの費用として、約3400万円を追加支出した。

 都は今年3月、最初のワッペンのデザインを決めた担当の部長と課長(いずれも当時)を訓告処分とした。今月から制服を一新したことは発表したが、ワッペン作り直しに関する一連の事実は公表していない。

 下水道局は「事前に規定を見ていれば防げたもので、担当者のミス。多額の費用負担を生じさせて申し訳ない。次のデザイン更新は何年先になるかわからず、それまで誤ったワッペンを続けることはできなかった」と説明している。

 下水道局を巡っては、JR王子駅(北区)のトイレの汚水が、約40年にわたって近くの川に流れ込んでいた問題で、2007年6月にこの事実を把握しながら、対策を取らずに放置していたことが判明している。

Tuesday, March 31, 2009

エイプリルフール

さて。今日、一気に3月の呟きをまとめ終わったところで、明日から4月です。明るい未来、新年度の開始なわけですが、そのアタマに当然なくてはならないのが「エイプリルフール」。だけど、いざ「エイプリルフール」はどういうネタで?と聞かれると、さすがに今年はホントに困っちゃうよね(笑)。

例えば、政治にしても、経済にしても、温暖化問題にしても、もう何がホントで何がでたらめなのか、日常の中でもまったくわかんない。それは、新聞、雑誌、テレビというマスメディアが、ある種の偏向性(それを「真摯な報道姿勢」と彼らは言う)を持って、情報を流すか、流さないかを決めているために起こっている、という認識を持つに充分に足りるほど、大本営発表の情報には欠落したものが多い、ということをネットで得てしまえることに拠るわけですな。つまり、大本営発表の情報を鵜呑みにしていると、結果的に正しい判断が出来なくなる(流さないことは罪ではないからね)という恐怖が、すでにいま誰の中にも確実に存在しているってのは確かでしょ。

その上、ネット上では、個々の専門家らしき人たちが口角唾飛ばして「アホ・ボケ・カス」論争を勝手に炎上(まぁそれをヲチし続けることである種の枠っていうのは見えてくるわけだけど)させてたりする。また、ソシアルメディア(何がソシアルなんか全然わかんないけど)の中には「へー、そうなんだー」と納得しやすい意図的な釣り餌がいっぱいぶら下がっていて、それらを安易に鵜呑みにすると、後で「うぎゃー、どこまで遡ればいいんじゃー」っていう感じで、その都度、自分のアタマの中の棚卸しをし直さなきゃならん、みたいなことばかり。

だから、「伝統的正論」と「右・左両論」と「ずば抜けたトンデモ」を、常に自分に保持しながら、その都度、自分の視座というものを固めて行かなきゃならーんってのが、「奥さま、それはもう常識ですわよ、おほほ」なわけです(ぐんにゃり)。

考えてみれば、過去のよく出来た「エイプリルフール」のウソって言うのは、ソシアルに見て、何か「まだ完全に知られていない事例」を、ある方向で「信じきってしまう状態」に、一気にパーセプション・チェンジしちゃう!というダイナミズムが存在したと思うわけです(マーケティングの理想形でもありますし、婚約指輪の相応価格とか、バレンタインデーにチョコ送ってるのは偉大なるウソですな)。だから「木に生えるスパゲッティは、いま収穫真っ盛りー」とか「火星に生物がいたぞー」とかは、まさにそういうダイナミズムが効いていて、微笑ましいというか、いやぶっちゃけ「人類はバカだったんだなー(笑)」としか思えないわけです。

そんなのを、いま、この時代に、それも明日までに考えろ!って、そりゃ無理ですよ。今なら「MicrosoftがGoodleの買収に乗り出す(米国政府筋)」とかぐらいしか思いつきません。ブラック入れるなら「ソフトバンク孫社長、米Apple社「iPhone」事業買収を発表」とかかな(笑)。とにかく、今年は、そういうページを偽装で作る余力ありませんのであしからずー。

Saturday, March 28, 2009

Playboy Archive

たまたまというか割と大物系が集まる昨夜のウチでの定例鍋会で、広告出稿が激減して苦境に立ってる「雑誌」というビジネスモデルを救っていくには何が必要かっていう議論があった。

広告価値のある媒体であり続けるためには読者との距離感を今までには考えられなかったほどに短くする必要がある点。月刊という「のんびり」した時間軸では「最新情報」みたいなものにはすでに価値は存在せず、そこはRSSを使ってのスピード確保が必須、というようなメディアとしての立ち位置リセットをどうするか。また、たとえばVogueの斎藤さんが試行錯誤されてきたような広告以外での雑誌ブランド価値の別ビジネスへの展開というモデル。さらに雑誌のアイデンテティとして、年代別対応型総合情報誌なのか(老舗数誌以外ほぼ瀕死。というか脳死かな)、カタログ雑誌(救急隊が色々出動したけど脈拍はどんどん低下中)なのか、スタイル雑誌(ダメなら即死)なのか、ニッチ雑誌(生命線は販路確保のため臭いケツ舐め続けで朦朧状態)を選ぶのか、そこは雑誌のオーナーである出版社の体力次第。その前に雑誌を作るというところに集う才能の使い方がそもそも…とか。

すみません。まさに雑誌というのはある意味で「なんでもアリ」なわけで、それを「どーすんねん」っていう議論自体がおこがましい議論であるのは明白なのですが、ぶっちゃけ「もったいない」わけです。つまりまだ価値を生めると僕も含めて昨夜の面子はみんな思ってるのは確かです。ただ議論の中で出てきた具体的な話は、そのままビジネスのネタばらしになってしまうので、これ以上は書けません。でもまぁ、そういう白熱した議論(でもみんな酔っ払ってるんですけどね)を経た上でってことで、この「Playboy Archive」を紹介しとく、って感じです。

このサイトを「うぉ、おっぱいデカー」っていう18禁のエロサイトと見る(それが最も正しい鑑賞姿勢だけどね)もヨシ。ストレスの少ない適時コンテンツをロードさせる技術に「どうやってんだ?」と見るもヨシ。ウィンドウサイズに合わせてのリキッドさや、マウスドラッグやクリック後での表示を「いいじゃん。真似しようぜ」って風に見るもヨシ。Playboyという雑誌のエディトリアルデザインの変遷として「すげーな」と見る(ぶっちゃけ凄いと思いますよ。グリッドの使い方も秀逸だし、カーツーンや寄稿に当てるイラストレーションもどれも一流。写真の使い方や選び方なんかもアートディレクターとしては教科書的に分析するに足りる質を持ってますからね)もヨシです。

まぁ、それぞれ自分が置かれている立ち位置に合わせてみてもらったらいいと思います。ただ僕は、先に書いたような、雑誌というメディアが今後も生き残っていくために「何をしていくべきか」というところで、このサイトは多くの啓示を与えてくれるものを持っているな、と思うので紹介します。それが何なのかは各自で考えてください(ヒントとしては「アノテーション」かな)。まぁ、何か思いついたらコメントください。ではK1観戦に戻ります。

Sunday, March 08, 2009

イラク国立博物館・再開

一週間ぐらい前に、バグダッドのイラク国立美術館が再開したという素晴らしいニュースが全世界に流れた。そのニュースに触れた直後に、僕なりに、かなり時間をかけて検索したけれど、イラク国立博物館のサイトを見つけ出すことができなかった(現時点でもWikipediaでは以前のサイトにリンクが張られたままだ)のだが、今日、ようやく再開した「イラク国立博物館」のサイトをみつけた。archive.orgで見てみてもまだ履歴が残っていないので、サイトは公開されたばかりではないだろうか。とにかくイラク戦争でフセイン政権が崩壊した後、無政府状態になった時期に、文化財の多くが略奪されたという、危機的な状況に陥ったというニュースが2003年の4月頃に流れて胸を痛めていた。その時から6年を経て再開できたことを、心から祝福したい。

Friday, March 06, 2009

政府高官ってだれ?

なんか、政府高官が西松建設の違法献金事件について「自民党側は立件できないと思う」と語ったことに、民主党の鳩山由紀夫幹事長が「検察側と政府筋の出来レースがある」とか言って物議をかもしてるわけですが、そもそも「政府高官」って誰?そういう言い方ってなに?って思ったので具具ってみたところ、「政府高官」ってのはどこかの省庁の局長らしい。そのほか、いろいろ出てきたのでメモ。ったくわけわかんないね…。
  • 「政府首脳」 : 官房長官。
  • 「政府筋」 : 内閣官房副長官。
  • 「党首脳」 : 幹事長か総務会長。
  • 「外務省首脳」 : 事務次官。
  • 「政府高官」 : 各省庁の局長。(今回は官房副長官らしい)
  • 「~省筋」 : 各省庁の局長以下。
  • 「幹部」 : 中央官庁の局長。
  • 「権威筋」 : 当該問題の決定権を持つ人。
  • 「消息筋」 : 当該問題を解析できる専門家。
  • 「国名消息筋」 : 在日大使。

Wednesday, March 04, 2009

私のなかの8ミリ


友だちのローランド桐島くんが映画を撮りました。「私のなかの8ミリ」という映画です。映画を撮ったと言っても彼が監督を務めたわけではなく、監督と脚本は大鶴義丹さんで、ロウリィは撮影監督です。とはいえ「撮影」と「撮影監督」とでは担うものがまったく違うので、細かいことですが、僕としては「ロウリィが映画を撮りました」と言ってもいいと思っています。映画は、バイク好きならではの映像満載のロードムービーとのこと(ロウリィはパリダカにバイクで参戦したほどのバイク・フリークです)。彼がバイクというシンプルな乗り物に跨っているときに、全身で感じているものが映像としてきっと描かれていると思うので、映画館で見るのがとても楽しみです。ロウリィのことだから映像自体もファッションになってると思うし、そこも楽しみです。ホームページが出来たとのことなので、よかったら見てあげてください(ぺこり)。
「私のなかの8ミリ」 http://my-8mm.com/

Tuesday, March 03, 2009

大吟醸・福井信蔵

僕の誕生日のお祝いに、ちょっと重めの縦長の箱が届きました(贈ってくださったのは名前を出すと「あぁ、あの人」という方なんですが実名は伏せておきます)。なんだろう、と思って包装紙を開けてみると、「大吟醸」の文字。おぉ、日本酒を送ってくださったんだーと思って箱を開けたら、ずがぁーん(笑)。びっくりしました。すごくないですか、これ。僕の名前のお酒ですよ。これは記録しなきゃー!と思って、速攻で写真撮りました。うれしかったです。ありがとうございました。んで、このプレゼントが届いたのは2月26日で、この日は恒例というか月例の鍋会の日だったので、沢山の来客がありました。もちろん大吟醸を下さった某氏も来られたのでお礼を言いつつ、親友からはドンペリのヴィンテージをもらったり(おいしかったー!)、みんなで祝ってくださいました。バースディケーキも、タルト仕立てとショートケーキ仕立ての2種類も用意されてて(それぞれ結構な大きさだったな)、5本づつ立てられたロウソクを吹き消したりで、ちょっとじーんとしてしまいました。ありがとうございました。んで、話を大吟醸に戻しますが、飲みましたよ。みんなで。鍋会のメニューが牡蠣だったので、料理とも合って、大変おいしくいただきました。「50歳になると、こんなにうれしいことがあるんだね。オッサンになるっていうのも悪くないなー(笑)」って思いました。その夜は、ビールで乾杯して、シャンペンは飲むわ、にごり系の日本酒は飲むわ、この大吟醸・福井信蔵も飲むわで、すっごく酔っ払いました。でも翌朝から今日までものすごく働きました。エントリーを残しておこうと思いつつ、撮影から戻ってきてから、ずっと忙しくしてました。この3日間ぐらいは久しぶりにフルパワーでデザインしまくってました。今日それらを納品し、ちょっとだけひと息つける状態になったのでエントリーしておきます。明日からもまた忙しいけど頑張ります。

Tuesday, February 24, 2009

50歳になりました。

ありえねー!です。いやまったく(笑)。この僕が50歳ですよ。50歳。どうしたらいいんでしょうね…と戸惑うばかりです。いやホント。全然、この大台になったという実感がありません。困ったもんですな。40歳になった時は1999年で、まさに日本でWebを使ったコミュニケーションというものが発展していく真っ最中。僕はその真っ只中にいたからか、やらなければならない事が山積みって感じだったからか、「よーし、40歳だぜ。やったるどー」モードだったんですけどね。その時とは随分と違う感じです。

ぶっちゃけ言うと僕は50代になりたくなかったかもしれません。それは、この20年の間、ずっと「もう終わっとるがな」と認めてこなかった(認めたくなかった)世代が、50歳以上の世代だったことが原因だと思います。自分より一回りぐらい上の世代で、上司だったり取引先のワケワカ部長だったり…。そういう人たちはほとんどが団塊世代で、彼らに対する失望感というか、彼らの意思決定の曖昧さや、仕事の進め方に対する敵愾心みなたいなものを、常に自分のエネルギーに変えてきたという感じがあるわけです。極論言うと「50代のオッサン=団塊世代=終わっとる」という漠としたイメージを自分の中でかなり固定してきたんだと思います。

でも50歳になったからと言って、突然何が変わるわけでもありません。もちろん白髪も増えたし、以前に比べたら集中し続けられる時間は短くなったし、徹夜を続けることも出来なくなりました。そういう老いのようなものは実際にあります。だけど、今日も健康だし(ちょっと太りぎみですけど)、やりたいことは加速度的に増えていて、すごく元気!なわけです。この50年を振り返ると、それなりに色々ありました。でも肉体的にも精神的にも安定した状態で今日という日を迎えられているのは幸せな事です。これも支えてくれる沢山のひとがいるからです。ありがとうございます。今後もよろしくお願いします。

最後に、今日、先輩から「ようこそ50代へ」という一通のメールを頂きました。そのメールには「寛容であること」を示唆する内容が記されていました。しかしその「寛容」は、これまで自分が思ってきた「寛容」とは次元の違うものでした。新たな目標が示されたように感じました(寛容の部分を以下に記しておきます)。こうして僕のことを思いやってくださることに深く感謝したいと思います。持つべきは良い先輩ですね。僕も後輩にとって、あなたのような先輩になれるよう、自分を磨いて行きたいと思います。

「寛容」はラテン語で「クレメンティア」と言います。これは古代ローマ帝国の天才ユリウス・カエサルのモットーであり、施政方針でした。塩野七生さんは「寛容になれる裏側には、自らの優位性を疑いもしないという強い自尊心が隠されている。復讐は、恨みという感情から生まれるが、恨みを抱くのは相手を対等に見ているからで、自分より劣った相手に対しては恨みなどという感情は生まれない。故にカエサルは寛容になれるのだ」と言っています。

Monday, February 23, 2009

マーク・ロスコ

Tokyo Art Beatさんの記事で知りました。「瞑想する絵画」と題して、川村記念美術館にてマーク・ロスコ展が始まったようです。これは絶対に行かねばならないぞ。

ニューヨークのシーグラムビル内にある最高級レストラン「フォー・シーズンズ」から依頼され、ロスコが壁画として描いた30枚の連作は、ロスコ自身が現場のスノビッシュなレストランを見て「この場所に自分の絵はふさわしくない」と自ら依頼をキャンセル。その後、川村記念美術館とロンドンのテート・モダン、そしてワシントンDCのナショナル・ギャラリーなどに散逸していた通称「シーグラム壁画」。それが今回、半数にあたる15枚が一同に集められるわけで、文字通り画期的な展示会といえます。というかロスコファンとしては、まさに夢見ていた状況です。

とはいえ「シーグラム壁画」はロスコの作品の中では、どちらかと言うとダークでな印象の作品群にあたります。どんどん色がなくなっていく晩年期の作品よりも、僕はやっぱりワシントンDCのナショナル・ギャラリーのコレクション(ものすごいコレクションです)の暖かな色の一連の作品が好き。とにかくデカいんですよ、ロスコの作品は。前に立つと包み込まれるんです。いくぞ!絶対にいくぞ!

Saturday, February 21, 2009

Walton Ford

今日の午後から、六本木の巨匠と彼のスタジオで諸々撮影した。撮影中は撮ることに集中しているので全然気づいていなかったのだが、撮影が終わって「こんど中華とか食べにいこか」とか「ワイキキのハレクラニって何年も値段高いままなんだけど、いざサーフライダーに変えるかって言うと、やっぱハレクラニがいいなって感じでさー」とか巨匠が話しているのに相槌を打ちながら、ふと見ると、机の上にシックな茶色の生地張りハードケースのヨコに「Walton Ford」と金箔エンボスされた、あの巨大な作品集が乗っているじゃないか!ハワイの話とか全然無視して「うぉ!ウォルトン・フォードじゃん!」って叫んでしまった。Taschenが出すSumoシリーズにウォルトンの作品集があるとは知らなかったから「見ていい?」とねだって開けさせてもらった。いやー素晴らしい。感動した。ウォルトンの絵は、どの絵も擬人化された物語やブラックなセンスがすごく好きなんだけど、この巨大な本の中にはほぼ原寸で刷られた図版が沢山あって目を奪われた。随分前にウォルトンが気になってのエントリーを残したことがあるが、それ以降、ちゃんと見ていなかったので今日は大きな収穫だった。ちなみにこの本はアマゾンで買える。買えるけどむっちゃ高い。円高なのでアメリカのアマゾンのほうが安いかな。六本木の巨匠のスタジオの3階には、こうした稀少本が数多く詰まった素晴らしいライブラリがある。その多くは写真家の作品集だが、絵画や民俗学的な本も多い。僕も自分の本棚には相当投資してきたけど巨匠のライブラリの足元にも及ばないな。

Tuesday, February 17, 2009

そこに行く大切さ

先々週から海外に撮影で出てました。若い頃から海外に行って撮影するというのは数え切れないほど経験して来ましたが、そのほとんどはモード系のファッション撮影だったので、基本的に撮影拠点は都市かリゾート地でした。今回も拠点としては都市だったのですが、少し違う写真を撮りたいと思って、旅行者はまず足を踏み入れないところに入って行きました。

クライアントとの間にNDAがあるので詳しくは書けませんが(いずれはカタチになるのでカタチになった頃にまた書きます)、普通は誰も行かない場所に意図的に入って行って、そこで交渉して撮影するというスタイルを試みました。色々行きましたが、某所のジャングルにも足を踏み入れました。そこはもう本当にジャングルでした(まんまですけど、そうとしか言いようがありません)。一歩足を踏み外すと下を流れる川に転落するような厳しい場所を登って行きました。実際、そこに足を踏み入れないと見えてこないものが沢山あって、正直びびりまくりました。直径80cmぐらいの巨木としか言いようない太さのバナナの木って想像できるでしょうか。その幹は、もう完全に現代美術の作品を越えた美しさを持ってました。また昆虫なんかも、もう凄い毒々しいキッチュな色をしていて見とれてしまいます。もちろん怖くて触れませんけどね。とにかく目に入る色がものすごく綺麗なんです。

薄暗いジャングルを歩いていて何気なく見上げると40cmぐらいの巨大な蜘蛛があちこちにいたり(写真の蜘蛛は村の近くまで降りてきたところで撮ったもので、これはまだ小さい方です。だけど25cmぐらいあります)、スイカみたいな巨大な果実が樹木の幹からにょきっと垂れ下がっていたり(これは毒があるので動物も食べないそうです)、森のざわめきも、虫の立てる音や、猿の鳴き声、さらに甲高い鳥の鳴き声などが交じり合って、もうファンタジーックな世界。

足元もすごいことになっていて、小さな昆虫がびっしりと生息しています。足元はぱっと見ると落ち葉だけなんですが、それを蹴飛ばすと多様な幼虫や無数の蟻がうじゃうじゃいます。ジャングルを歩くときは葉っぱを上から踏みしめるように歩くのが基本のようで、それを知らない僕は何度も葉っぱを蹴飛ばしてしまって、そうするとぶわーっと靴を登って来るんです。その上、がぶっと噛む。もう手ではたいても落としきれない数の蟻が登って来るので参りました。さらにそれが後で痒いんです。今も痒さが残ってます。まぁいい経験しました。

今回の旅を通じて思ったのは、やっぱり「そこに行く」ということの大切さです。「そこに行く」ことで感じられるコトの多さ。ネットに大量の情報が載るようになり、さもそこに行ったことがあるような気になりがちですが、そんなものがいかに薄っぺらいかをも実感した旅でした。逆に、真に「そこに行った」という感覚を紡ぐには、表現として何が足りていないかが良くわかった旅でもありました。記憶を呼び覚ます言葉の選び方。感覚を喚起するために今まで以上に必要な映像と写真の記録。そしてそれらの紡ぎ方。サラウンドな音の効果などなど、すでに技術として出来ることが沢山あるのに、まだ誰もやっていないことが沢山あるな…と。それを実現すること自体が大変なわけですが、数多くのクリエイティブな啓示も得ました。そして自分の得た体験を、詳細に分析して経験に変え、それを表現に落としていく。それは僕のこれまでのスタイルですが、これは自分にとっては正しい善循環なんだなという認識を新たにしました。

Wednesday, February 04, 2009

企業サイト改変不要論

最近、どこの企業のサイトを見ても、だいたい同じような感じになってて、それで何かが変わるかって言っても別に何が変わったってこともなく、あまり効果もないみたいだし、もう企業サイトをピカピカにするという時代は終わった感じだね…」。

昨夜行われた文化庁メディア芸術祭の授賞式。その式典が終わった後の懇親会パーティで、ある人にこんなことを言われました。ちなみに昨夜、これを僕に言った相手は、Web業界ではそれなりに実績のある人で、僕としては「この人わかってないなー」って思ったんだけど、その人は広告の方の人だし、「いやそれは違うでしょ」とその場で言っても時間の無駄だなと思ったのと、もっと別に話したい人もいたので、にっこりしながら「そうですねー」と言っておいた。

まぁ、似たようなトップページがあり、脈絡のない打ち出しがFlashで作られてぴょこぴょこ動いてたり、クリックすると本体も似たようなグリッドで似たようなデザイン…という感じで、そういう風に思われても仕方ないリニューアルが数多く行われているのは僕も認識している。だから、そういう側面からは僕も「終わった感じ」と思いますよ。ただ、根本的に大きな勘違いがあるようなので、ちょっと書いておこうと思う。

企業サイトを手掛けると言っても色々ある。中でもよく勘違いされるのは、「リニューアル」と「リストラクチャリング」の混同だ。ナビゲーションを整備したりユーザーインターフェイスや見た目を変えて、回遊性やコンバージョン率を向上させる「リニューアル」と、個々の企業の事業モデルが持つ顧客との接点のシナリオを洗い出し、個別のコミュニケーションの最適化と同時に、事業モデルそのものまでを組み立て直してサイト構造を導き出す「リストラクチャリング」は、まったく別次元の仕事なのだが、どうもそのあたりが理解されていないようだ(僕がbAに在籍していた頃はセミナーなどで、そういうレクチャーは行ってはいたんだけどね)。

ただ、普通の人というか表側から見ている限りは、そんなことは知らないというか、それらが何が違うのかがわからず、「リニューアル」だと思っていることが大半なんだと思います。いや、普通の人だけじゃなく「企業サイトをリニューアルしました」と実績に載せている人も、そこのところは、あまりわかっていないんじゃないかな…。知っていれば「リストラクチャリングしました」と実績に記載するだろうしね。

もっと言えばリストラクチャリングは、文字通り事業の再構築を伴ったコミュニケーションの最適化なので、デザイン表現を主体としている個人や会社には到底出来るものでもないと思います。それは僕自身が経験したことでもあって、個人事務所でデザイン業務を中心にしていた中で「これじゃダメだ。そういう仕事をする体制を作らなきゃダメだな」と思ってbAを設立し、手掛けた一社一社に総力戦で取り組んで、それでも納得の行く結果が出せるかどうか…というほど難しい仕事なのですよ。

企業サイトをリストラクチャリングするというのが、どういうことなのか。それを書き始めたら一冊の本が出来てしまうほど長々と書かなきゃ説明は無理なんだけれど、「リニューアル」との大きな違いは、サイトが主体の再構築じゃないってことかな。「リストラクチャリング」はビジネスの最適化が主目的であって、そこにコミュニケーションの最適化のためのITインフラがあって、そのシナリオがサイト全体の構造と立ち振る舞いを決定づけて…と、デザインとかユーザビリティとかは最後のフェーズの一要素でしかないわけです(もちろん重要ですけど)。それを戦略と呼ぶのか、IAと呼ぶのかは別にして、とにかく手掛ける企業の持つビジネススタイルと顧客マインドは全部異なる上に、企業文化も全然違うので、決してあるパターンを導入すればそれで結果が出るというものではないのです。吊るしの既製服じゃなく、体型にピッタリ合ったオートクチュールの作業と言う感じでしょうか。

このあたりを勘違いして、「今までにない高機能なCRMシステムがあります。導入しませんか」っていう、システムパッケージ系を主軸に置いたリニューアル(カスタマイズと運用でがっぽり。さらにそれらの要件定義は相手次第という深い沼の提供モデル)は、言い換えれば、顧客の利便性と言う免罪符を盾に、その導入企業のビジネスフローをシステムに合わせて根本的に変えてくださいというオーダーに繋がるわけです。そこに業務コンサルやインストーラーが存在するなら話は別ですが、ただ「システムが変わりましたのでよろしく」では、十中八九は頓挫するか導入しても結果が出ないのが普通です。だって誰だっていつも通りに仕事進めたいじゃないですか。それをシステムに合わせて変えてくださいって言うこと自体、無茶なんですよね。技術はいくらでもあるんです。リストラクチャリングでは、それをどう人が動かせるように埋め込むか、が課題なわけです。

まぁ、こういうことを書き始めると、ホントにキリが無くなってしまうのでもうやめますが、少なくとも「見た目をどうにかしましょう」っていうリニューアルは最低限いろいろやって頂くとして、本質的に企業サイトを改変して行くっていうのは、顧客のコトを考えたとき、企業としてのコミュニケーションが今のままでエクセレントなのかどうかを常に鑑みる体質を持った担当の方々(そういう風に育てるのも仕事)と「これでいいのかなぁ」と一緒になって考え続けるところに「どこまでも付き合っていけるかどうか」しかありません。

最初に掲げた言葉を吐いた広告の方の人は、どこまでも付き合っていくということを勘違いしていて、どこまでも新しい花火を生み出しますよ、というところで企業へのソリューションを提供されているのだと思います。それはそれでいいのですが、なんとなく薄っぺらいなぁとは思いました。

Wednesday, January 28, 2009

Firefoxのレンダリングの謎

いきものみっけ」のプロジェクトで、調査結果報告のグラフィックを作成し、それを報告サイトに掲載したところ、Photoshopはもとより、ローカル環境で画像を見ることができる、あらゆる画像プレビューアプリケーションでも問題なく表示されていて、さらにウェブブラウザとして、IEでも、Operaでも、Chromeでも、とにかくすべてでまったく問題なく表示されているJPEGファイルが、なぜかFirefoxの上だけで、薄い色の部分がちゃんとレンダリングされずに横筋のボーダーが入った状態で表示されてしまうという事象が起こって、今日の午後、すこしバタバタした。

左のサムネイルをクリックしてもらったら、問題を起こしたJPEGファイルを見てもらえますので、これをFirefoxとIEの両方で開けて見較べてみてください。ええぇ?っていう状態が確認してもらえると思います。でもこれは僕のところだけで起こっている問題というか、僕の環境が悪くて引き起こしている問題かもしれず(環境はWindows XP SP3です)、どこがー?って感じで問題が確認できない可能性もあるので、いま起こっている状態をキャプチャして右下に掲示しておきます。んで、なぜそうなったのかの本当のところは今も謎のままなのですが、Photoshopからの書き出し時点で、何かFirefox的にレンダできない何かの圧縮コーディング記述があったとしか考えられません。問題が起こっているJPEGファイルは、CS3のPhotoshopから「最高品質・圧縮100%」で書き出しで起こっています。念のため同じ元PSDファイルをCS2のPhotoshopで開け、同じ「最高品質・圧縮100%」設定で書き出したところ、問題は回避されました(わかんねー)。

その両方のJPEGファイルのどこが異なったコーディングになっているのかを確認しようと思って、両方のファイルをエディタでリ・コンパイルしてみたところ、Firefoxでのレンダリングでも問題のないCS2で書き出したファイルは、284,173バイトでコードは1,776行で書かれていました。一方、問題を起こしたファイルの方は、284,408バイトありながら、コードは1,734行で書かれていて、問題ありの方がコード的には短縮(圧縮)されているのがわかりました。明らかにコード量は問題ありの方が短いのに、そっちのほうがファイルのバイト数が多いってのもわかんないんですが、そういう事がわかったからと言って何も解決したわけでもないし、こうしたほうがイイというTIPSがあるわけでもありません(すみません)。IEや他のブラウザでは起こらないような、この微妙な差が何なのかもわかりません。だけど、他のブラウザと違って、Firefoxのレンダリングエンジンだけは、何か違うコトが起こる可能性があるということだけはわかったので、エントリーとしてここに残しておきます。今後、ウェブで使用する場合は、書き出したJPEGファイルをFirefoxで問題がないかを確認するのを必須としていきたいと思います。何か情報があったら教えてください。よろしくお願いします。