Tuesday, February 24, 2009

50歳になりました。

ありえねー!です。いやまったく(笑)。この僕が50歳ですよ。50歳。どうしたらいいんでしょうね…と戸惑うばかりです。いやホント。全然、この大台になったという実感がありません。困ったもんですな。40歳になった時は1999年で、まさに日本でWebを使ったコミュニケーションというものが発展していく真っ最中。僕はその真っ只中にいたからか、やらなければならない事が山積みって感じだったからか、「よーし、40歳だぜ。やったるどー」モードだったんですけどね。その時とは随分と違う感じです。

ぶっちゃけ言うと僕は50代になりたくなかったかもしれません。それは、この20年の間、ずっと「もう終わっとるがな」と認めてこなかった(認めたくなかった)世代が、50歳以上の世代だったことが原因だと思います。自分より一回りぐらい上の世代で、上司だったり取引先のワケワカ部長だったり…。そういう人たちはほとんどが団塊世代で、彼らに対する失望感というか、彼らの意思決定の曖昧さや、仕事の進め方に対する敵愾心みなたいなものを、常に自分のエネルギーに変えてきたという感じがあるわけです。極論言うと「50代のオッサン=団塊世代=終わっとる」という漠としたイメージを自分の中でかなり固定してきたんだと思います。

でも50歳になったからと言って、突然何が変わるわけでもありません。もちろん白髪も増えたし、以前に比べたら集中し続けられる時間は短くなったし、徹夜を続けることも出来なくなりました。そういう老いのようなものは実際にあります。だけど、今日も健康だし(ちょっと太りぎみですけど)、やりたいことは加速度的に増えていて、すごく元気!なわけです。この50年を振り返ると、それなりに色々ありました。でも肉体的にも精神的にも安定した状態で今日という日を迎えられているのは幸せな事です。これも支えてくれる沢山のひとがいるからです。ありがとうございます。今後もよろしくお願いします。

最後に、今日、先輩から「ようこそ50代へ」という一通のメールを頂きました。そのメールには「寛容であること」を示唆する内容が記されていました。しかしその「寛容」は、これまで自分が思ってきた「寛容」とは次元の違うものでした。新たな目標が示されたように感じました(寛容の部分を以下に記しておきます)。こうして僕のことを思いやってくださることに深く感謝したいと思います。持つべきは良い先輩ですね。僕も後輩にとって、あなたのような先輩になれるよう、自分を磨いて行きたいと思います。

「寛容」はラテン語で「クレメンティア」と言います。これは古代ローマ帝国の天才ユリウス・カエサルのモットーであり、施政方針でした。塩野七生さんは「寛容になれる裏側には、自らの優位性を疑いもしないという強い自尊心が隠されている。復讐は、恨みという感情から生まれるが、恨みを抱くのは相手を対等に見ているからで、自分より劣った相手に対しては恨みなどという感情は生まれない。故にカエサルは寛容になれるのだ」と言っています。

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