エルサレム賞を受賞した村上春樹さんの受賞スピーチが英文のまま掲載されていたので、勉強のために翻訳してみた。「ユニーク」という言葉の対訳に迷った。また「システム」という単語も適切な単語が思い浮かばずカタカナにした。それはさておき、日本語にしてから読み直してみて、短いスピーチだけれども、さすがに文筆家だけあって深い内容を持っているなぁと思う。さらに日本人っていうのは、こういうシビアな場では沈黙を貫くほうを選ぶケースが多いと思われる。だが彼は、人間として誰もが持っているはずの良心(スピーチでは神性とも言っている)に向けて、こうして堂々と言葉を発している。これは尊敬するべき姿勢だと思う。さらにその言葉を発する前に「私たちは我々自身の内にある真実がどこにあるのかを明瞭にしなければなりません」と、自らの「作家というものは」という信念を語っている。こうした真摯な姿勢にも学ぶことが多い。
So I have come to Jerusalem. I have a come as a novelist, that is - a spinner of lies.
私はイスラエルに来ました。小説家として、つまり嘘の紡ぎ手として、ここに来ました。
Novelists aren't the only ones who tell lies - politicians do (sorry, Mr. President) - and diplomats, too. But something distinguishes the novelists from the others. We aren't prosecuted for our lies: we are praised. And the bigger the lie, the more praise we get.
小説家だけでなく嘘をつく人はいます - 政治家も(大統領閣下、すみません)、外交官も嘘をつきます。しかし小説家と他の方々との間には区別できるものがあります。小説家は嘘をついたことで告訴されることはなく、むしろ賞賛されるのです。さらにその嘘が大きいほど、大きな賞賛を得るのです。
The difference between our lies and their lies is that our lies help bring out the truth. It's hard to grasp the truth in its entirety - so we transfer it to the fictional realm. But first, we have to clarify where the truth lies within ourselves.
私たち小説家と他の方々の嘘と異なる点は、私たちの嘘は真実を明らかにする助けとなるものです。真実を完全な形として掴むのは困難なので、私たちはそれを作り話の領域に翻訳するのです。しかしまず最初に、私たちは我々自身の内にある真実がどこにあるのかを明瞭にしなければなりません。
Today, I will tell the truth. There are only a few days a year when I do not engage in telling lies. Today is one of them.
今日、私は真実を話します。私が嘘を語ることに従事しないのは年に数日しかありません。今日はそのうちの一日です。
When I was asked to accept this award, I was warned from coming here because of the fighting in Gaza. I asked myself: Is visiting Israel the proper thing to do? Will I be supporting one side?
私がこの賞を受け入れるように頼まれたとき、ガザでの戦闘を理由にこの地に来ることに警告されました。私は「イスラエルを訪問するのは適切なことだろうか? 一方の側に味方することになるだろうか?」と自問しました。
I gave it some thought. And I decided to come. Like most novelists, I like to do exactly the opposite of what I'm told. It's in my nature as a novelist. Novelists can't trust anything they haven't seen with their own eyes or touched with their own hands. So I chose to see. I chose to speak here rather than say nothing.
私は熟慮しました。そして来ることを決めました。ほとんどの小説家のように、私も人に言われた正反対のことをするのが好きなのです。それは私の小説家としての気質です。小説家は自分自身の目で見ていないもの、自分自身の手で触れてもいないものは何も信じることができません。私は見ることを選びました。沈黙するよりも、むしろここで話すことを選びました。
So here is what I have come to say.
ここに、私をこの地に来させた主張があります。
If there is a hard, high wall and an egg that breaks against it, no matter how right the wall or how wrong the egg, I will stand on the side of the egg.
もしそこに堅く高い壁があり、それによって卵が壊れていたら、いかに壁が正しく、卵が間違っていたとしても、私は卵の側に立つのです。
Why? Because each of us is an egg, a unique soul enclosed in a fragile egg. Each of us is confronting a high wall. The high wall is the system which forces us to do the things we would not ordinarily see fit to do as individuals.
なぜか?なぜなら、私たちはみな卵だからです。壊れやすい殻の中に掛替えのない魂を宿した卵なのです。私たちは個々に高い壁に立ち向かっています。高い壁とは、普通なら一個人として行わないと思うことを、行わせようとする我々への支配力のシステムです。
I have only one purpose in writing novels, that is to draw out the unique divinity of the individual. To gratify uniqueness. To keep the system from tangling us. So - I write stories of life, love. Make people laugh and cry.
私が小説を書く目的はひとつだけです。それは、個人の内にある掛替えのない神性を描き出すことです。無比であることを満足させるためです。システムが我々を紛糾させるのを防ぐためです。だから私は人生と愛の物語を書くのです。人々を笑わせ、泣かせるのです。
We are all human beings, individuals, fragile eggs. We have no hope against the wall: it's too high, too dark, too cold. To fight the wall, we must join our souls together for warmth, strength. We must not let the system control us - create who we are. It is we who created the system.
私たちはみな人類であり、掛替えのない存在であり、壊れやすい卵です。壁に対して私たちには望みが全くありません。壁は、あまりにも高く、あまりにも暗く、あまりにも冷たいのです。壁と戦うために、私たちは温めあい、強さのために心を結合させなければなりません。システムに主導権を握らせ、我々がどんな人間かを規定させてはならない。我々がシステムを規定するのです。
I am grateful to you, Israelis, for reading my books. I hope we are sharing something meaningful. You are the biggest reason why I am here.
私は、私の本を読んでくださったイスラエルの方々に感謝します。私たちが何か意義深いものを分かち合えたることを願っています。あなた方がいることが、私がここに来た最大の理由なのです。
Wednesday, February 18, 2009
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