Tuesday, November 11, 2003

resolution control

コミュニケーションデザインにおいて、「写真」というものを、単にカメラで撮ったものと安易に定義してしまわないこと。その前に、コミュニケーションを成立させていくというミッションの中、その情報伝達に有効なビジュアルが持つべき、必要充分な「意味性での解像度」を設定し、さらに、それにはどのような表現手法があるのか、という広い視点が先に必要だ。

つまり、そうした視点で、タイポグラフィや写真やイラストレーションという手法を同時に捉えておく必要がある(当然、そこに、グリッドシステムや組み版、さらには視線誘導やモーションも同時に連鎖させる)。

そして、その位置に立脚することからのみ「ノーマルな写真」というスタンダードを自ら設定することが可能となり、そこから写真のテクニックではなく、意味的な情報解像度を自由に操ることができるようになる。

これは「写真を撮る」という側ではなく、「写真を操る」という側の論理としてデザイナーは身に付けておくべきものだ。さらに、それらが見据えられて初めて「写真を作る」ことに参加できる。そしてそれが写真を扱おうとするアートディレクターが持つべき最低限の資質条件とも言える。

っていうような流れで、「写真」についての講義を、昨夜の信蔵塾で行ったわけだが、こうした視点に立脚するには経験も必要だが、何よりも多くの写真をちゃんと見ておく必要がある。おまえら、本物の写真をもっと見て、信じられないような本物の写実派絵画も見ろ。レンブラントとアーヴィング・ペンを同時に思い浮かべられるようになりなさい。そうすれば北斎がわかるようになる。

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