Thursday, February 04, 2010

Embrace Life


すばらしい。しばらく呆然としてしまいました。

Friday, December 18, 2009

Talk at the Creator's Summit 2009

事後報告になってしまいましたが、この12月3日に、多摩美術大学デザイン学科の猪股先生からお願いされて「クリエイターズサミット2009」のキーノートスピーチという大役を、ジャチェック・ウツコさんと一緒に務めさせていただきました。講題は「ブランド戦略に基づいたトータル・クリエイティブワーク」というもので、クリエイティブを始める前に、どういったコミュニケーション戦略を練るべきか、という側面と、ブランドという存在感を、顧客と共に、どういう指針で築いていくべきか、という側面あたりを話させて頂きました。また12月4日にもワントラック頂いて、実際に何を考えて、どういう作業を進めているのかをプレゼンテーションしました。でも、この二日目は講演時間45分ということで、かなり巻きながら話してしまい、ちょっと不完全燃焼っぽい感じになってしまいました。これまで講演というと大体90分とかが普通だったので、ポイントを絞り込むことと時間配分をミスりました。聞いてくださった方に申し訳なかったです。またどこか別の機会があればお話したいと思っています。

さて、自分のことはこれぐらいで置いておいて(笑)、僕のスピーチの後に話された、ジャチェック・ウツコさんのプレゼンテーションはTEDで行われた内容に加えて、具体的な論拠も示され、とても素晴らしかったです。彼が話していることは、至極まっとうであり、広告やコミュニケーション業界でも、同様の変革を起こした人たちは生き残り、今も成長しています。

しかし、ウツコさんの言うように物事を進めるには、相当の覚悟を固め、いま目の前にある現実の新聞や出版業界の慣習を根本から見据え直し、多くの慣習をひっくり返しながら、新たな体制とワークフローを構築しなければなりません。彼のプレゼンテーションを僕がリアリティを持って受け止められたのは、表層の裏にある、彼の弛まぬ努力と、彼が持ったヴィジョン実現のための、目に見えない苦闘にリアリティを持てたからです。なので僕は、彼が「こうするべき」という具体的な手法の説明をされている間も、ずっと「大変だったんだろうなぁ。ウツコさん頑張ったんだなぁ」という感じでした(笑)。

いずれにしろ、「デザインをどうするかの前に、ビジネスの仕方から変えて行かなければ、何も変わらない」というところで、僕のキーノートスピーチと、ウツコさんのスピーチは、共通するメッセージを出せたように思いますし、そういう風に受け止めてもらえると、オーディエンスの方々の日常も違ってくるのではないかと思っています。関係者のみなさま、色々とありがとうございました。

Monday, August 03, 2009

Talk at Apple Shinsaibashi

残念なお知らせです。Appleさんの多大なご好意によって実現したApple Store銀座でのDP2に関する講演会が好評で、ぜひ関西でも、というご希望を沢山頂きました。ありがとうございました。そのご希望に沿って日程を調整しておりましたが、Appleさんも色々と新製品を出され、何度かの調整の末に一旦は9月に行うということで予定日もフィックスしていたのですが、Appleさんの製品プロモーションの都合でキャンセルとなりました。とても残念です。開催場所がAppleさんの庭先ですから、こちらの都合を優先というわけにも行きません。またAppleさんのご好意で、10月以降での新たなスケジュールの打診も頂いたのですが、9月後半から年末にかけては僕もすでに多くの予定で埋まっており、現時点では日程を確定することが出来ず、一旦お流れということになってしまいました。twitterなどでも多くの方から「楽しみにしていますー!」と言って頂いていたので、申し訳ない気持ちでいっぱいです。ごめんなさい。また次の機会には是非とも実現したいと思います。どうぞお許しください。

Friday, June 26, 2009

Michael Jackson


マイケル、長い間、ありがとう。

Wednesday, June 10, 2009

UNIQLO CALENDAR


クリックして、音量上げて、サイトで見ましょう。とっても楽しいです。しかし、よくこれだけブレを起こさないで撮影してるってのに驚く。そこがシッカリしてないと全部オシャカだもんな。色々な苦労が詰まってるっていう感じもあるけど、仕上がりはバッチリ。日本だけじゃなくて世界中をシリーズでやって欲しいな。

追記:このコンテンツに対して、ブログやtwitterで「今までで一番好き」というコメントを数多く見かけた。「今までで」という言葉が出るということは、すでにこういったコンテンツがユニクロのブランディングとして幅広く受け入れられ、ある種のイメージを持たれている証拠でもある。このコンテンツは、直接的にユニクロの服の売り上げに貢献する、というタイプのものではない。一方、広告と連動して「そのまま販促」というものをコンテンツとして作られてきたものも多い。さらにその中間に位置するコンテンツも数多く公開されてきた。こうしたコミュニケーションの多層構造を網羅して埋めていくというのは、実はとても大変なこと。その多層構造すら理解していない広告屋さんも多い中、ユニクロの取り組みは注目に値すると思う。

Friday, June 05, 2009

Sigma DP2: Catalog Shooting

アートディレクターという立場にある僕が、プロのフォトグラファーを使わず、カタログやWebサイトなど、DP2のコミュニケーションに使う写真を、なぜ自ら撮影しているのかについて、もう、会う人、会うひとから聞かれています(笑)。なので、もっと別のことを書こうと思っていたのですが、今日は、その疑問に先に答えちゃおうと思います。

結論を先に言うと、「機材としての未完成度合いが半端じゃない」という現実と、DP2の良さを伝えるには「プロを使わずに撮影した写真でなければならない」というコミュニケーションコンセプトを立てたことによります。それらについて書いてみます。

僕が、広告などの制作のために普段から撮影を依頼するプロのフォトグラファーたちは、プロとして当然のことなのですが、実際に撮影する時点で、いかに問題を起こさず、いかにスムーズに撮影を行うかに対して、常にとてもナーバスになります。これはスタジオで撮影を行う場合でも、ロケに出る撮影でも、まったく同じです。彼らは、普通なら起こらない不測の事態にも対応できるように万全の態勢を整えます。カメラマンが持つスタジオという場所は、言い換えれば、そういう「不測」への解決策が凝縮された場所です(貸しスタはそうではありません)し、ロケ地に乗り込む場合でも徹底した準備が普通です。

それはプロとして「撮れなかったでは済まされない」という責任感の裏返しでもあるので、アートディレクターとしては、その徹底した準備によって「そこは頼むね」で済ますことが出来る信頼に足る最低条件だったりします。おそらくそれらは、彼らが今日に至るまでに経てきた、数々の「自らの準備不足のために招いてしまった結果としての冷や汗、時には失敗、時には出入り禁止」に遭遇してきた「痛い経験」を元に組み立てられているようで(彼らは失敗の経験を語りたがらないんですけどね)あり、まさに言葉通りに万全を期するのが常識。中でも最も重要なのは、肝心のカメラとレンズとストロボの「機材管理」と、どのカットがどういう状況(露出や色温度)で撮影したかを記録し、現像段階で問題を起こさないようにするための「撮影管理」であり、彼らのアシスタントは、どんなにのどかなロケ地に来ても、常に眉をしかめて(笑)ミスがないように集中するのが普通です。

そういうプロのチームに、機材として「どんな問題が発生するのか使ってみないとわからないカメラ使ってね」の上に、「フルデジタルの環境を現地に持ち込んで、そのつど現像してみないと、どう撮れたのかわからないんだよね(さらにテザー環境はない)」というのが、僕が抱えている案件の現実なわけです。あまりにも不確実要素が多い、いや、多いというよりも、逆に確実な要素は皆無に近い(笑)、という状況に、彼らのようなプロのチームをアサインして、「でも、プロとして完璧な写真を撮ってね」という依頼は、かなり無茶な依頼以外のなにものでもないわけです。

もちろん彼らはプロですし、仲間ですから、「厳しいけど、やってよ」と強く頼めば、「うん、じゃぁ、やれるだけやってみるか」と引き受けて、一緒に暗中模索の撮影に取り組んではくれます。しかし、僕は、撮影を彼らに頼むか、自分で撮るか、悩みに悩み、そのどちらにするかを、最後の最後まで考えて、最終的に「自分で撮るしかないな」という判断に至りました。プロのフォトグラファーに「何が起こるかわからない機材を使え」というのが現実ですから、過去の経験から、彼らが抱えるストレスも予測できますし、実際に僕自身が、アートディレクターとして撮影現場に立ったとき、そこに発生するストレスの度合いを考えると「到底、頼めないな」と結論づけたわけです。

ベータ機を使うストレスは筆舌に尽くし難いものがあります。ものすごいです。現場で何度も胃がよじれるような緊張感を味わいますし、ホント、禿げそうになります(笑)。アートディレクターとして「こういう写真が撮りたい」という、カメラが持っている性能を最大化した写真のイメージも、実際の実機を動かしてみないと、それを実現できるのかどうか、その場になってみないとわからないわけです。事前準備を徹底する彼らの常識からすると、そんな曖昧さを残したままアートディレクションされたら、その場その場で臨機応変に対応していくところにも神経を使うことになるのは明白。さらに僕自身も、自分が抱えているストレスに加えて、彼らが抱えるストレスまで受け止めて、彼らの抱える不安をどこまで現場で解消できるだろうか…と考えると、もう全部、まるごと自分で背負っちゃえ、という感じで、かなりの覚悟は必要でしたが、自分で撮影することに決めました。

誤解のないように念のため記しておきますが、僕の手元にDP2の実機が届いたのは、ロケに出発する前日です。それは発売予定日までのスケジュールの逆算で決まります。詰めに詰めたギリギリの予定として、この日からこの日の間に撮影を行い、それらを使ってカタログを制作し、いついつに印刷出稿…、という予定を先に立て、ロケに使うためのDP2の実機は、それ用にシグマの会津工場で組み立てられ、ロケ出発直前までシグマ本社の技術部門でファームウェアのチューンナップが続けられたものが手渡されるわけです。

つまり「いまの時点で、これが最も製品版に近い実機です」というものを受け取った翌朝には、僕は機上にいるわけです。飛行機の中で操作系はひととおり身につけますが、もちろんその時点でマニュアルなんて存在しません。ですから僕もロケ地に到着してから初めて本格的にDP2を使い始めるわけです。そこからは、丸一日かけて、「アタマの中で想定していた絵」と、「実際に撮ってみるとこうなんだ」というギャップを順番に埋めていきます。「DP2の最も優れた部分が何なのか」は、シグマさんの一緒にコンセプトを詰めてきていますから、概念としてアタマには入っています。それを実際にどう撮れば表現できるのか、というところを検証していくわけです。画角や被写界深度のニュアンスを掴むには、やっぱり一日必要なんですね。そして、だいたいこう狙えばこういう感じの絵が撮れるんだなという感覚を、身体に覚えさせるのにもう一日使います。この段階では、色とか全然気にしていません。カメラとレンズが作る世界観を確かめることに費やします。そうした検証と操作系の慣れを大急ぎで行い、その後に、現地のコーディネーターと共にフルに動き始める、というような過ごし方をするわけです。その状況を「フォトグラファーとして肩代わりしてよ」と、仲間のプロの彼らに頼むのは「ちょっと酷すぎる」という状況なわけですね。

さらに、今回の撮影に使ったDP2のベータ版は、さまざまな挙動を最も高速化したという状態で受け取ったために、バッテリーの持ちが極端に短いという個体でした。フル充電したバッテリーを入れてもあっという間に電源が切れるわけです。実際にはバッテリーを完全に使い切っているわけではなく、あるレベルになると電源不足で自動的にカメラが終了する、という設定値が高かっただけ(その使い切ったバッテリーをDP1に入れると全然フル充電で何日も使えました)なのですが、とにかく手にしているDP2のベータ機はバッテリー1個で1時間ぐらいしか持たないわけです。これはもう撮影している立場からすると、「ありえねー!」っていう状況です。毎晩、15個のバッテリーを確実に充電し終わるまで寝ないで翌日に備え、かつ、充電器を二台ロケバスに積んで、撮影場所の近くにコンセントがないかを、常に探して充電し続けました。撮影中は常に右ポケットにバッテリーを5個ぐらい入れています。構図を決めている最中でも、突然「ぷちゅーん」と切れちゃうので、即座に底面を開けてバッテリーを入れ替え、使い切ったものは左ポケットに入れ換えていくっていう感じです。さらに、そうして切れてしまうと、設定値が全部デフォルトに戻ってしまうというバグもあり、非常に強いストレスを抱えながら、被写体に向かって行くわけです。

話が長くなりましたが、そんな風に悩んだ末、彼らには頼まず、今回も自分で撮ると腹を決めて、雨季のインドネシアを駆け回りました。

もうひとつ、広告を撮影しているプロのフォトグラファーをキャスティングせず、自分で撮ろうと決めた理由の、最も決定的な要因は、「ユーザーと同じ状況で撮る」と決めたことです。つまり、「最終的に製品として発売されたあと、このカメラを使うユーザーと、まったく同じ状況で写真を撮らなければならない。写真にギミックがあってはいけない。コミュニケーションに不信感を抱かれるような写真の作り方は絶対にやってはいけない」というものです。

インドネシアでの撮影も、現地のコーディネーター(今回は「課長・島耕作」のロケを段取りしたスタッフが頑張ってくれました)が、「え!それだけデスカー!」と驚かれました。彼らからすれば、ありえない撮影隊です。普通なら存在する複数のジュラルミンケースも、ハンギングされた衣装もありません。機材はDP2と三脚だけ。ヘアメイクも衣装も一切入れていません。細々したことを担いながら僕を助けてくれるスタッフはいますが、僕は片手にDP2を持っているだけですから、撮影コーディネーターからすれば、普通のツーリストのオッサンにしか見えません。レフ版も一切使わず、現場での光の補正なども一切行いませんでした。すべて「そこにあるがまま」で撮影すること。それをミッションとして撮影しました。

さらに実際にカタログに使用した写真は、RAWデータを専用現像ソフトであるPhoto Pro 3.5で現像した以外、一切手を入れていません。コントラストやシャープネスもPhoto Pro 3.5だけで調整。すべて等倍Tiffデータで書き出し(見開きページは倍サイズ)。そのままCMYKに変換して印刷しています。Photoshopでのレタッチやシャープネス補正は一切していません。同時に、発売前にサンプルギャラリーを公開し、DP2で撮影した見本を見て頂けるように準備しました。さらに発売後は、そのまま使っているということを証明できるように、カタログで使用した写真を、僕のFlickrのサイト上で等倍サイスで公開し、さらに現像パラメータがわかるように、Exifも含め、すべてを見て頂けるようにしました。

つまり、サンプルギャラリーや、カタログに印刷する写真は、広告的に謳っていることを強調するために後処理で手が入れられた写真ではなく、実際に発売後のDP2を手にした方々が撮影される状況と、まったく同じ状況で撮影しなければウソになってしまう。だからこそ、現地のコーディネーターが「観光客っぽいっすね」と呟いたままの撮り方で撮影する、というスタイルこそが重要、という意識で撮影を行いました。正直、アートディレクターという立場からはプロに頼みたかったです(笑)。でも、シグマのブランドディレクターという立場、そしてDP2のクリエイティブディレクターという立場からDP2というカメラのコミュニケーションを考えたとき、逆に「プロ臭さ」を排除するべきだと考えたわけです。そしてこれはシグマ社の持つ「誠実さ」の具現化でもありました。

色々困難もあったわけですが、自分が取り組んだ結果として、沢山の方々から「カタログの写真を見て買うのを決めました」とか、「あんな写真が撮れるならと思って購入しました」といったメールやflickrへのコメントを頂けたことをうれしく思っています。すべてはシグマ社をはじめ、数多くの方々の心強いサポートのおかげでした。ありがとうございました。

Monday, June 01, 2009

ジャチェック・ウツコの言葉

ジャチェック・ウツコは、ポーランドのグラフィックデザイナー。東ヨーロッパの多くの新聞をリデザインして数多くの賞を受賞しただけでなく、購読数を100%まで増加させた彼が「デザインは新聞を救えるか?」と題して「TED」で行ったスピーチ。



新聞は今にも死絶しそうです。読者は古い情報にお金を払いたがらず、広告主もそれに従っています。それよりも携帯電話やパソコンの方が、新聞の日曜版より、よっぽど手軽です。さらに森林も保護しなければならない。これではどんな産業もダメになってしまうでしょう。ですので「新聞を救う術はあるのか?」と質問を変えるべきです。

新聞の将来について、幾つかのシナリオが考えられます。ある人は「無料であるべきだ」と言ったり、「タブロイドか、もっと小さなA4サイズがいい」、「地域コミュニティごとに発行する地方紙がよい」、「小さなビジネスなどニッチを狙うべき」と言う。しかし、無料にならずとも、とても高コストになってしまう。「新聞は意見主体であるべきだ」、「ニュースは少なく、見解を多く」とか、「出来れば朝食のときに読みたい」、「後の時間は通勤の車の中でラジオを聴くし、会社ではメールチェック、夜はテレビ」…。どれも良さそうに聞こえますが、どれも時間稼ぎにしかなりません。長い眼で見たら、新聞が生き残るべき実際的な意味はないと思うからです。そこで我々に何が出来るのでしょうか?

私はこうしました。20年前、ポニーエというスウェーデンの出版社が、旧ソ連圏で新聞を始めました。そして数年後には中央と東ヨーロッパで複数の新聞を発行するようになりました。それらは経験の浅いスタッフによって運営され、レイアウトなど「見た目」を重んじる文化がなく、かける予算もありません。多くの新聞にはアートディレクターすらいませんでした。私は新聞のアートディレクターになろうと決めました。それ以前、私は建築家で、祖母に一度「お前は何で生計を立ててるの?」と聞かれたことがあります。私は「新聞のデザインをしているんだ」と答えました。「デザインするものなんてないじゃない。つまらない活字だけ」。彼女は正しかった。私はフラストレーションを貯めていました。

ある日、ロンドンに来て「シルク・ド・ソレイユ」のショーを見た時、大発見をしたのです。「こいつらは『気味の悪い、しけた興行』というものを、考えられる限り最高の『パフォーマンスアート』に仕立て上げた。だから『つまらない新聞』でも同じことが出来るかもしれない!」と思ったのです。そしてその通りにしました。一つ一つデザインし直したのです。一面が我々の特徴となりました。私が読者と近い距離で対話するための私的なチャンネルでした。ここでチームワークや協働について話すつもりはありません。私のやり方はとても利己的でした。私はアーティストとして主張がしたかった。私なりの現実の解釈を示したかった。新聞ではなく、ポスターが作りたかった。雑誌ですらない、ポスターです。我々は文字の見せ方やイラストや写真でも常に実験していました。とても楽しみました。

そしてそれらはすぐに結果をもたらし始めました。ポーランドでは「カバーオブザイヤー」に3年連続で選ばれ、ラトビア、リトアニア、エストニアなど、中央ヨーロッパでも評価されました。私たちの秘密は、特徴のある一面だけではなく、新聞全体を、ひとつの作品として扱っていたことです。まるで楽曲のように、リズムや起伏があります。デザインは、これを読者に体感させる責任があるのです。ページをめくりながら、読者は色々なことを感じる。私はその体験に責任を持っているのです。

私たちは、見開きをひとつのページと捉えています。それは、読者がそのように感じているからです。このロシア語の新聞の見開きは、スペイン最大の情報デザインアワードで受賞しました。中でも一番は「ニュースデザイン協会」の賞でした。ポーランドでこの新聞をデザインし直してから、一年もたたないうちに、世界一素晴らしいデザインの新聞となったのです。二年後にはエストニアの新聞でも同じ賞を頂きました。すごくないですか?もっとすごいのは、これらの新聞の購読数が、どんどん増えていったことです。

たとえば、ロシアでは1年後に11%増、リデザイン後3年目には29%増です。ポーランドも同様で初年度13%増、3年目に35%増加しました。このグラフを見てお分かりの通り、何年もの停滞期のあと、リデザインするや否や、新聞は「成長」し始めました。中でも1番のヒットはブルガリアの、100%増でした。これはすごかった。

デザインがこれを成し遂げたのでしょうか?そうではないのです。デザインはプロセスの一環に過ぎません。私たちがとったプロセスは、外見を変えるだけではなかったのです。商品を完全に改良することでした。私は建築における「機能」と「カタチ」の鉄則を、新聞の「コンテンツ」と、「デザイン」に応用したのです。さらに、その上に戦略を乗せました。

最初に、大切なことを思考します。「何のためにやるのか?目標はどこにあるのか?」そこから「コンテンツ」を調整していきます。その後、2ヶ月後ぐらいにデザインを始めます。ただ原稿を求めるだけでなく、なぜこんなにビジネスの質問をしてくるのだ?と最初は上司たちはすごく驚きました。でもすぐに、これがデザイナーという役割なのだと理解されました。プロセスの最初から最後まで関わることです。

ここから得られる教訓とはなんでしょう?まず最初の教訓は、デザインは商品を変えるだけでなく、ワークフローを変えることが出来るのです。つまり、会社のすべてを変えてしまえる。ブランディングも会社そのものも変えることが出来る。さらに、あなた自身も変えてしまえるのです。誰がそう出来るか?それはデザイナーなのです。デザイナーに権限を与えてください。

二つ目の教訓。こちらのほうが重要です。皆さんも私のように貧しい国に住み、小さな会社の、つまらない部署で働きながら、予算も人材も、何もないところで、それでも自分の仕事を最高のレベルに持っていくことは可能なのです。誰でもできます。必要なのは、ひらめきと、ビジョンと、決断力だけです。そして、ただ「良い」だけでは足りないと覚えておくことです。ありがとうございました。


このプレゼンテーションを数十回も繰り返して見ている。何度見ても、熱いものが自分の中から立ち上ってくる。デザインという手法を携えてコミュニケーションに関わりながら、逃げ道を確保し続けていた自分を見返り、企業に関わる自分の立ち位置を根本的に変えよう!と決意した日のことを思い出す。自由を求めるところに存在しなければならない責任。

Thursday, May 21, 2009

Sigma DP2: Shooting Style

前回のエントリーでは、DP1 / DP2というカメラが持つ「独自性」について、比較的、技術的な側面から書いてみました。いま読み返してみると、言い足りていないところが沢山あることに自分でも気づきます。でも、そうした技術面は、maroさんのサイトで行われている徹底的な検証と、そこから導き出されている多様なリポートを読んで頂いたほうが間違いないので、僕が技術面について語るのは、今ぐらいのレベルにとどめておこうと思います。ただ、DP2に搭載されているFoveon X3センサーに関しては、あまり理解されていないようなので、また機会を改めて、書いてみたいと思います。

さて、今日、このエントリーで書こうと思うのは、DP1 / DP2が持つオリジナリティの、もう一つ重要な側面である、「写真を撮るスタイル」についてです。

カメラ売り場に行くと、「ぱっと取り出して、ちゃちゃちゃっと写真を撮る」というスタイルの延長線上にある「カンタン!お手軽!綺麗!失敗しなーい!」というデジタルカメラが、びっくりするほど多種多様に売られています。薄くてカッコいいカメラ。ブログにそのままアップできるカメラ。少々暗い場所でも綺麗に撮れるカメラ。夜景に同期して適正なストロボ発光が得意なカメラ。旅行先で充電の心配がないバッテリー消費の少ないカメラ。高速連射が出来るカメラ。ありえねーっていうぐらいにズームアップが可能なカメラ。さらに、顔を検出してピントを外さないカメラ。さらに笑顔を見つけてシャッターを切るカメラとか、その便利さや付加的機能の多様さには、もう、本当にすごい進化だなぁと思います。ちなみにDP1にもDP2にも、上記のような付加的な機能は一切ありません。短焦点レンズで、ズームも出来ない。カメラは勝手な補正をしませんので、ちゃんと失敗写真を記録します(笑)。でも、僕はこの「失敗できる」という素直さも、実はDPシリーズの大きな独自性だと考えています。

ちなみに僕もDP1 / DP2 以外に、スナップ用にCanonのPowerShot G9と、富士フイルムのFinePix F200EXRを持っていて、用途に合わせて使っていますが、まさに「カンタン!キレイ!失敗なし!」のパフォーマンスを発揮してくれます。友人たちが僕の家に集ってのホームパーティや、知人が開く展覧会のレセプションのような、とにかくパチパチと記録として撮る、というようなシーンでは、DP1 や DP2はまったく出番がありません(笑)。つまり、僕にとっては、DP1 / DP2と、PowerShot G9やFinePix F200EXRは、まったく別のカメラカテゴリーに属するものとして位置づけているわけです。つまり「作品」を撮るための一眼レフの代わりになるカメラと、スナップカメラの違いのようなものです。

たとえばファッション撮影というケースで言えば、G9やF200EXRは、あくまでも「ロケハン用」のカメラでしかありません。情景だけでなく、回りの状況や、太陽の角度や、本番撮影で障害になりそうな要素の記録など、とにかく気になったものを、JPEGモードで、どんどん撮って、後でそれらをパソコン上で並べ替えたりしながら、撮影する順番を決めたり、コーディネーターやスタイリストに細かな依頼を行ったりするのに便利な道具、という感じでしょうか。でも、それらのスナップカメラでは、「作品」は作れないのです。コントラストを自動で調整するようなカメラでは、意図した写真の構成は台無しになってしまいます。また、「何を撮っても同じような写真」と感じるような、立体感のない写真になってしまうカメラは、「手軽に記録としてぱちぱちと撮る」という用途にしか使えません。

そういう僕も、CanonのPowerShot G9を買ったあと、G9を使って自分なりに納得できる写真が撮れないかと、色々と設定を変えながら撮ってみました。CanonのRAWモードであるCR2で撮影し、Canonの専用現像ソフトも使って、色々と試しましたが、結局のところDP1で得られるような「作品性」を、G9では作ることが出来ませんでした。

この「作品性」というものが何なのか。とても抽象的な言い方なのですが、この言葉しか見つけられません。主観的であり、基準も曖昧なものです。ただ、ひとつだけ言えることは、DP1 / DP2を使った写真のほうが、「なぜ撮ったのか」という理由が、写真から感じられるのです。構図や、質感や、露光の焼き具合といった、「絵」としてのテクニカルなことを超えたところで、自分でも後で気づくような「何に惹かれたのか」の理由や、「そのときに感じていたなにか」が、写真から伝わってくるかどうか。その、僕なりの基準でしかない「作品性」という感覚に、今のところ最も応えてくれるのが、DP1/DP2というカメラで撮った写真に多いのは事実です。自分の撮った写真を、自分の「作品」としてどうなのか、という視点でみたとき、実はDP1で撮影したものの方が、納得の行くものとして残っているのです。

そう感じる理由のひとつは、おそらく「見たままのものが、そのまま写っている」からなのではないか、と思います。「そのまま写っている」という定義も曖昧なのですが、そうとしか言えないのです。なぜなら、X3FというフォーマットのRAWデータを、専用の現像ソフトを使い、シャッターを切った、そのときの光の具合を思い出しながら色温度やコントラストを調整すると、撮った場所の温度や湿度、さらには風や臭いのようなものまでが、写真が語り始めるのです。これはデジタル一眼レフカメラも含めて、他のカメラを使っての撮影では、経験できない瞬間です。DP2で撮った写真を現像している時間は、まるでタイムマシンに乗って、撮影地に戻って実際の光景を目前にしているような錯覚を覚えるわけです。それが何によってもたらされているのかは正直わかりません。センサーが違うから、という理由だけで、そういう感覚が喚起しているのかどうかは、僕にもわかりません。でも、DP2を使っている方には、僕と同じような感覚を持った方がおられるのではないでしょうか。いずれにしろ、僕の中での「作品性」というものを、DP1/DP2は確実に具現化するだけの力を持っていることは確かなわけです。

さて、もちろん僕はフィルムの時代から一眼レフカメラを使ってきました。デジタル一眼レフもCanon EOS 10Dの時代から、色々と使ってきていますので、職業はフォトグラファーではありませんが、ある程度のものは撮ることが出来ます。でも、やっぱり一眼レフカメラは「デカい!」んです(笑)。それに「重い!」です。さらに一眼レフカメラには「ものすごい存在感」があるわけです。「一眼レフカメラを肩から提げて歩く」って、もう、「撮るぞ!」っていうスタイルそのもの。街でもそういう方々を見かけますが、ぶっちゃけ言ってお洒落じゃないんですよね(笑)。もっと言えば、お洒落なファッションと、その一眼レフが持っている存在感が、調和していない感じになってしまうわけです。

これは、僕は、一眼レフカメラの持つ、ある意味で「致命的」な要素だと思っています。だって、ぶっちゃけ変ですもん(笑)。たとえば旅先で、プラダのキレイなプリント柄のワンピース着ている女性が、重火器みたいな一眼レフカメラを肩から提げて歩いているって、それがご本人のファッションとしての自己表現なのであれば、それはそれでいいのですが、やっぱり違和感を覚えざるを得ません。

自分も同じ経験を何度もしています。たとえばパリやNYCなどの街に行けば、やはり高級ブティックにも行くし、普段とは違うノーブルなレストランで食事を取るわけで、当然、身に纏う服や靴にも気をつかい、それなりにリュクスなスタイルになります。その格好で、一眼レフカメラを肩から提げて歩くのは、正直、恥ずかしい。だから、一眼レフカメラはショルダーバッグに入れて持ち歩くわけですが、「場を楽しむ」という意識のほうが、「撮る」という気持ちに勝ってしまうので、「お洒落しながら」+「楽しみながら」+「写真を撮る」となると、一眼レフは使い勝手が悪いわけです。

その点では、DP1とDP2は、明らかに持ち歩きやすく、同時に「いつでも作品としての写真が作れる」という安心感があるので、最近では、一眼レフを持ち歩く必要を感じなくなってしまいました。でも、よく考えると、これは自分にとって大きなスタイルの変化だなと思うわけです。どこでも、どんな時でも、どんな場所でも「作品」が作れる。これは大きいです。明らかに僕の撮影のスタイルを変えてしまっている。これは、DP1/DP2の持つ、大きな「独自性」のひとつではないでしょうか。

ちなみに、このエントリーにつけた写真は、いずれもDP2のカタログのためにインドネシアで撮影した一連の写真の中から選びました(サイズは半分の大きさに縮小しています)。しかし、どれも自分の美意識からすると「作品性」の低いものです。カタログに使用するかどうかの基準では、明らかにセレクトから外れるレベルの写真ばかりなのですが、自分にとっては、どの写真も「何を撮ろうとしたのか」や、その場の音や風などが、記憶の中で立ち上がってきます。それは、ふと「なんか撮れそうなモチーフだな」と気づいたり、それからじっと被写体を見て「どう構成したらいいかなぁ」と、カタチや色や状況をじっくりと観察する。その「被写体に向きあい、考える時間」が、自分の「作品性」のようなものを醸成しているような気もしています。そしてそれは文中に書いたような「付加的な便利さ」を、ある意味で潔く持たないDP1やDP2を使うからこそ、その、気づく力、考える力、そして写真を練る時間に結びついているのかもしれません。写真って面白いですね。

Tuesday, May 19, 2009

高田明の言葉

マーケティングでもそうだが、ひとつの事例があって数字がある。すると「こういうデータがあるからこう動くだろう」と人間は普通考える。でもそれは、あくまでも過去の数字だ。参考にはすべきだが、それに囚われてはいけない。その数字から直近の変化をどう読み取るかが大事なのであって、数字やデータに縛られると変化に対応できなくなる。

ビジネスコンサルタント向けの季刊誌「Think!」の最新号の特集は「目指す結果を出すコミュニケーションの法則」というもの。この号に「ジャパネットたかた」の高田明社長のインタビューが掲載されている。彼の記事以外は、ほとんどが数多くのビジネスコンサルタントたちの色々なケーススタディやメソッドを語っている記事なのだが、この号の中では、高田社長へのインタビュー記事が、それらを完全に吹き飛ばす存在感を放っている。異質だが最強。このインタビューは、上に引用した言葉だけでなく無数の示唆が読み取れる素晴らしいものだ。理屈を超える現場の強さを実感する。

Sunday, May 17, 2009

Sigma DP2: Originality

今日(もう昨日になりましたね)の午後、銀座のアップルストア3階のシアタールームで、「アートディレクター 福井信蔵が語る SIGMA DP2の世界」という講演を行いました。14時に始まった段階で、すでに立ち見の方がおられるような盛況で、ちょっとどきどきしながらの2時間。心の広いシグマ社の山木社長のおかげもあって、楽しい時間が作れたような気がしています。銀座まで来てくださったみなさん、ありがとうございました。プレゼンに使った資料は、350dpiの印刷用の高解像度データをそのまま使ったPDFですので、そのままだと460MBもあります。150dpiぐらいまでダウンサイジングすれば、半分以下になる(それでも150MBかー)と思うので、また作業して、見て頂けるようにしたいと思っています(ちょっと時間ください)。

さて、次はコンセプトというか、DP1 / DP2に与えようとしたミッションについて書きたいと思います、と言いながら、そもそも自分の持っている仕事でとても忙しかったのと、今日の講演のための準備というところで、DP2に関するこのブログの更新が半月以上も滞っていました。すみませーん。ってことで、引き続き、DP2というカメラのことに関するエントリーを書いて行きたいと思います。そして書きたいことは本当に沢山あります。中でも、DP2のコンセプトについて語る前に、DP1という、世界を驚かせたカメラ開発のことに触れないわけには行きません。それは、DP1とDP2が持っている「独自性」そのものです。中でも、このユニークなカメラが開発されたこと自体が、いかに大変なことだったのかについて、今日は僕なりに理解しているところを書いてみたいと思います。

DP2が生まれる元になったDP1というカメラに、シグマ社が与えたコンセプトは「一眼レフ技術を、そのままコンパクトカメラに凝縮する」という、とてもシンプルなものでした。このコンセプトは、実際のところ誰もが思いつくものです。しかし、2007年にシグマ社がこのコンセプトを具体化しようと、その開発をスタートしたとき、そしてDP1が具現化した後の2009年の現在まで、シグマ社以外にこのコンセプトを具現化したカメラは存在していません。

誰もが思いつく「一眼レフ技術を、そのままコンパクトカメラに凝縮する」というシンプルなコンセプトのカメラが、なぜこれまで実現してこなかったのか…。その実際のところは僕にもわかりません。一眼レフをコンパクトカメラに凝縮するところでの技術的なハードルの高さというのは、明らかに存在しています。ただ僕は、それ以上に、シグマ社以外のカメラメーカーでは、マーケティング的な側面から開発にGOサインが出なかったところがあるのかな…という風に思っています。

ご存知のように「デジタルカメラ」というカテゴリーには、「コンパクトデジタルカメラ」という市場と、「一眼レフカメラ+交換レンズ」市場という、二つの異なるマーケットが存在しています。およそ6年前ぐらいから、携帯に搭載された、いわゆる「写メ」体験を持った数多くの人々が、「もっと綺麗な写真を残したい」という欲求を持つようになり、5年前頃から「コンパクトデジタルカメラ」市場は、爆発的な拡大を遂げました。それを基盤に、4年前ぐらいから比較的安価な一眼レフカメラが市場に投入され多様な製品ラインナップを形成するようになりました。そして、その両方のマーケットが巨額の売り上げを続けてきているのが、この数年の市場の状況です。

そうした異なる二つの市場が利益を生むカタチで活性化している中で、「一眼レフ技術を、そのままコンパクトカメラに凝縮したカメラ」の開発、および、その製品化は、明らかに既存の二つの市場を混乱させるでしょうし、カメラメーカーの多様な製品群全体として、矛盾を生んでしまうカメラ開発という事態に繋がってしまう可能性があるのではないか…と僕は考えてきました。これに関しては、色々な意見があるかと思いますので、またコメントなどで、皆さんのご意見を聞かせて頂ければと思います。

話を戻します。シグマ社は、「一眼レフ技術を、そのままコンパクトカメラに凝縮する」というコンセプトを、DP1というカメラで実際に具現化したわけですが、それは「言うは簡単、実現するはとんでもなく困難」なミッションだったことは言うまでもありません。まず、どのようにして「コンパクトに凝縮する」のか…。つまりダウンサイジングの側面です。フルボディ一眼レフであるSD14と、まったく同じスペックを、今のDP1/DP2のようなコンパクトなサイズにダウンサイジングする。しかし、カメラの中央に置かれるセンサーのサイズは同じなわけです。そして、それを処理する基盤だけでもコンパクトというサイズは埋まってしまう…。

これはとても大きな課題だったと思います。シグマ社はこの課題をクリアするために、それまで基盤上で数多くのチップで処理していた「ソフトウェアベース」のデジタル変換を、ひとつのLSIで処理していく「ハードウェアベース」という、新たなアーキテクチャ開発に着手し、まったく新たな画像処理エンジン(すべてを処理する新たなLSIチップ)を具現化しました。いまDP1に搭載されている「TRUE」チップがそれです。DP2では、さらに進化した「TRUE II」が搭載されています。ちなみに「まったく新しい」という意味は、シグマ社の以外のデジタルカメラに搭載されている、従来の「ベイヤー型センサー(モノクロセンサーの上にモザイク状のRGBカラーフィルターを載せ、上下左右4ピクセルの信号を分析して色を作る)」の信号処理を行うのではなく、Foveonセンサーという、1ピクセル単位にRGB三原色の光を捉えるフルカラーセンサーのデータ処理を行う、という意味です。これだけ多種多様なデジカメが発売されているわけですから半導体メーカーには、かなりの「ベイヤー型センサー」処理のノウハウが存在しています。しかし、フルカラーセンサーのデータを処理するというノウハウは、半導体メーカーにとっても未知のものであり、言葉通り「まったく新しい」チャレンジだったわけです。

さらに、シグマ社のDP2は実際にシャッターを切ったとき、光を受け止めたFoveonセンサーは約21MBのデジタルデータを生成します。それをそのままバッファメモリに蓄え、約14MBの画像データへと超高速に変換し、SDカードにデータを送って記録させているわけです。このエントリーを読んでくださっている方は、当然コンピュータを使っておられるでしょうから、21MBのデータ処理や、14MBのデータ転送という処理には、ある程度の時間がかかるということは体感としても、ご理解頂けると思います。そういう意味では、僕たちが使っているコンピュータよりも遥かに高速なデータ処理を行う超小型のLSIが、DP1/DP2には搭載されていると思って頂いてもいいと思います。

極端に言えば、従来の「ベイヤー型センサー」の信号処理という技術を使い、センサー、DSPチップ、レンズ、液晶、バッテリーなどを、あちこちからパーツを寄せ集め、独自の筐体にアセンブリし、市場に「デジタルカメラ」として導入する、というのは、現時点では、それほど難しいことではありません。携帯電話やパソコンに搭載されているWebカメラのように、そうした技術自体は、ノウハウを含めて、すでに「汎用」と呼んでもいいぐらいの状態になっています。

もちろんシグマ社も、最終的に出来上がるカメラを、いかに顧客が買いやすい価格に近づけるか=原価をいかに抑えるか、という側面では、そうした汎用となっている部品や技術を部分部分で導入しています。しかし、デジタルカメラにとって最も重要である「画質」を追求する部分では、シグマ独自の「レンズ開発」と、フルカラーセンサーである「Foveon X3」の搭載。そして、そのデジタル信号処理に関しては、他社にはないわけですから、完全に独自なノウハウの蓄積によって生み出されているわけです。我々に驚くような「写真」をもたらすカメラの内側には、単に他とは違うものが詰まっている、というだけでなく、孤高に独自の写真づくりを追い求める中で、磨きに磨かれたシグマ独自の数々のノウハウが詰まっているわけです。

こうしたテクノロジーの世界で、完全なる独自性を保持し、それで製品を開発し、世に出す、ということが、どれほど大変なことか。今日は、シグマという会社が、みんなが思っている以上に、ものすごい努力を続けている、というところを知って欲しいと思って、このエントリーを書いてみました。

僕は、確かに人よりも深くシグマという会社に関わっています。しかし、今日の講演でも話しましたが、「ダメなものはダメ」とキッパリと言う(今日、山木社長も言ってましたが、時には怒ってものを言う)というスタンスは誰にも負けません(笑)。もともと僕は「ずばり言うわよ」というタイプなので、シグマ社の方々からも「また怒られるんじゃないか」って思われてたりしています(反省)が、シグマさんと関わって以来、お互いの関係の中で、「中途半端なままってのはやめよう」という姿勢を崩したことはありません。こんな僕を受け入れてくださるシグマさんは、やっぱりすごいなぁと、いつも思っています。

そして、僕もひとりのユーザーであり、DP1やDP2を使ってカタログなどに使う責任の重たい写真を撮るわけですから、使っている中で「なんだこれ?」って思うような「使い勝手」における不満は、実際のところ、いっぱいあったわけです。でもそれは、そもそものカメラ設計の仕様を変えなければならないほどに重要なものであるのかどうか、という視点に立つと、極端な言い方ですが、「そっか、それは自分が、それに慣れちゃえば済む話だな」というようなものが多かったわけです。重要なのは、そういったちょっとした使い勝手の良し悪しではなく、シグマ社が出すカメラにとって最も重要なところは何なのか…、というところに立ち戻ってシグマ社さんとの議論をずっと続けてきました。

そうして、DP1 / DP2というカメラは生まれました。そして、そうした議論の中から、DP1 / DP2というカメラを「買うべき理由」というものを見い出し、それを素直にカタログなどのコミュニケーションに反映してきたわけです。世界にひとつしかないという独自性。そしてその独自性が生み出す、想像を遥かに超えたパフォーマンス。僕は、ひとりのシグマのカメラユーザーとして、一人でも多くの方に、ぜひ、その凄さを一度体験してみて欲しいと願っています。それは、「一度経験したら、もう元には戻れない」、という異次元の世界ですから。

Friday, May 15, 2009

Talk at Apple Store Ginza: 16th May

明日の16日(土曜日)の午後2時から、Apple Store 銀座店で、「アートディレクター 福井信蔵が語る SIGMA DP2 の世界」と銘打たれたSigma DP2についての講演やります。

内容は、僕がこれまでシグマ社のカメラを使って撮ってきた写真(未公開がたくさんあります)を数多く見て頂きながら、僕なりに思っている「写真」というものの考え方、ってあたりを色々と話す、って感じになる予定です。

あと、シグマ社の方々に「これはどうなってんの?」と、直接色々聞けるチャンスかもしれません(笑)。てことで、よかったら聞きにきてください。よろしくお願いしまーす。

●追記:無事に終えることが出来ました。Apple、Sigma社、そして来てくださった皆さん、本当にありがとうございましたー!

●追記:友達が撮ってくれた写真を追加しました。Appleストアー内は基本的に撮影・録画・録音禁止なので、わざわざPressパスをもらってくれた上で撮ってくれました。剛ちゃん、ありがとうね。

Sunday, May 10, 2009

ニコラス・ムルコギニアスの言葉

「戦略」は言葉としても学問分野としても、ペルシャ・ギリシャ戦争のマラソンとサラミスの戦いで生まれたもので、規模の点での弱みを克服する技術であり科学なのである。戦略は、小さいものが大きなものに、少ないものが多いものに、少なくとも時として勝つためにある。

パンテアの創始者であり、ブーズ・アレン・ハミルトンの戦略的リーダーシップに関する上級執行アドバイザーであるニコラス・ムルコギニアスさんが、ハーバード・ビジネススクールに、最年少で教授に就任したゲマワットさんの出したグローバル戦略に関する本の巻頭に送った言葉。安易に「戦略」という言葉が使われるいま、正しく理解しておきたい。

Monday, April 27, 2009

豚インフルエンザ感染マップ

この地図は、メキシコから始まった豚インフルエンザの感染をGoogle Map上にプロットしてくれています。もうすでに全世界に広がり、どんどん進んでいることが実感できます。

ジェット機を使った移動速度があたりまえの現在では、完全なる隔離施策の実施というのが、もう、ほとんど不可能なのだということも、この感染が広がるさまを見ると、恐ろしいことではありますが、事実として受け止めていかなければなりませんね。

日本はまだ島国ですから、空港というポイントで重点的にガードが可能なのかもしれませんが、大陸はその点では、もう防ぎようがないのではないでしょうか。さらに、もう段階としては、感染の進入を防ぐ、という段階ではなく、感染者が増え、パンデミックが起こると想定した上で、どのように対処していくのかを考える段階に入ったのだと思います。この連休を使って、多くの日本人が海外に渡航しているわけですから、彼らが帰国する来月までに、どこまで対策を立てられるかが、豚インフルエンザとの戦いの勝負を分ける気がします。 | View H1N1 Swine Flu in a larger map

■追記:このエントリーを書いた後に、すでに東京の都心に豚インフルエンザのウィルスが持ち込まれた可能性が高いというニュース。そもそも「任意」の意味がわからないのだが、空港は、メキシコ帰りの便で、明らかに熱出してる人間を止められないザルな水際でしかない、ということがハッキリした。ニューヨークタイムズはタミフルが効くと言っている(日本の新聞は、こういう大切なことを全然流さないので腹が立ちます)ので、ドラマの感染列島のようなパンデミックには至らないような気もするが、手当てが遅れれば死亡するウィルスなので、油断できません。僕が一番心配なのは、東京に住む日本人ではなく、保険証などを持たない多くの外国人たちの間で感染が広がることです。彼らはギリギリまで我慢するでしょうし、その我慢が、多くの感染者を生んでいくことに繋がります。身分保障など関係なく、また無料で、とにかく全員処置していくという姿勢で、このインフルエンザに対していって欲しいと思います。

Sunday, April 26, 2009

Sigma DP2: Sample Photo

SDIM0033今回のSigma DP2のカタログWebサイトに使用している写真は、インドネシアで撮影しました。撮影地はインドネシア本土のジョグジャカルタ界隈と、バリ島のウブド、ギニャール、スミニャック界隈です。撮影時期は雨季であったため、カラっと晴れた日差しがなかなか得られず、また使用した撮影機材のDP2には、当然のことなのですが色々と問題もあり、強いストレスを感じながらの撮影でした(アルファ機を使っての撮影は予期せぬことの連続なので、本当に大変なんです)。

撮影機材としてはDP2のプリプロダクトモデルを使っています。今回はシグマの会津工場で細かな微調整(会津工場にはレンズとカメラのテストを行う巨大な専用の部屋があります)を行っていただいたDP2のプリプロダクトモデルを2台用意して頂き、それらを使用して撮影しました。またファームウェアはブラッシュアップ中であり、バージョン0.2あたりのベータ版を搭載しての撮影でした。そういう、最終的に発売されたDP2ではない機材を使用しての撮影データですが、DP2オフィシャルサイトのサンプルギャラリーとは別の角度で、DP2の画質や解像感を感じていただけたらと、Flickrにサブ写真をアップし始めました(いま23枚アップしています)。

Sigma DP2 beta on Flickr
レンズ性能のところを見ていただくために、カメラを三脚で固定して、同じフレーミングの状態で、F2.8から順に絞りを変えて撮ったもの。また、PhotoProを使っての印象の違う現像のものなど、色々とアップしていきたいと思っています。ただ、X3Fデータを、PhotoProを使って現像し、等倍のJPEG写真をアップロードしていくのは、かなり時間のかかる作業なので、いっぺんには出来ません。これから時間を見つけてアップしていくということになると思いますが、どうぞよろしくお願いします。

それから、個々の写真の現像は、自分の脳内の「感動記憶」に沿った写真として現像しています。つまり僕の「写真表現」というところでの写真です(ほとんどの写真はExifが出るようにしてありますので必要な方はそれをみてください)。僕は、写真というものは、撮影者の個性があるべきであり、個々の「感動記憶」の表現であるべきだ、と考えています。それについては、こんどのApple Store銀座での講演でお話したいと思っています。

Saturday, April 25, 2009

Sigma DP2: My Pleasure

そろそろSigma DP2について語っていこうと思います…と先のエントリーに書いたのですが、僕は株式会社シグマの社員ではなく、あくまでも外部の人間として、シグマのブランドディレクターという立場を務めている人間です。その立場から、写真というものを愛している人たちに、シグマが作るカメラが持つ本当に素晴らしいパフォーマンスを、どうしたら伝えていけるだろうか…と、それを暗中模索しながらアイデアを出し、シグマさんと熱い議論を交わしながらコミュニケーションの骨子を決め、それを具体化していくアートディレクターでしかありません。ですので、僕がこのブログに書いていることは、決してオフィシャルな情報ではない、という前提で読んで頂きたいと思います。

とはいえ、そうした立場から僕が得ている詳細な情報は、シグマ社が広報として一般に向けてリリースする情報量をはるかに超える内容のものであり、同時にコミュニケーションを決めていくディレクターとしては、当然のこととして、それらの専門的な情報を鵜呑みにするのではなく、ちゃんと自分自身で理解できるように勉強を重ねてきました。そして、その専門的な知識を持った上で、プリプロダクト実機を使ってのテストを重ね、自分の感じた点をフィードバックしていく、というプロセスを経てきています。

そうして、守秘義務的な側面を多く含んだ詳細な情報を自分なりに理解した上で、「一般的なユーザーからすると、これは絶対ダメ」。と言い切ったことも少なくありません。出来るだけ完成度の高い製品になるように、という立ち位置から、僕は僕で真摯にこれまでのシグマのカメラ製品には向き合ってきた…という自負は持っています。過去、これはダメと言い切ったフィードバックの中には、製品開発として非常に大きな軌道修正を行わなければならないようなものもあり、まさに経営判断に繋がるというような事態もありました。そして、そうしたフィードバックを一蹴するのではなく、本当に真摯に受け止め、シグマさんは真剣に悩んでくれる会社なのです。このシグマという会社の持つ姿勢や、それを支えるシグマに流れる文化や風土は、僕は尊敬に値するものだと思っています。そして、それがあるからこそ、こういったユニークな製品が開発できるのだと思います。

でも、そういう開発時点での紆余曲折や苦労話というものは、買ってくださる顧客にとっては結果的にはどうでも良い話であって、最終的に製品としてみなさんの手元に届いたシグマのカメラが、どれだけパフォーマンスするのか、ということが評価のすべてでしかありません。

そしてこれは、コミュニケーションを作っている僕自身の仕事においても、まったく同じことが当てはまります。僕が作るDP1やDP2などのカタログやWebサイトに「この写真はこう見てください」という注釈は書けないわけです。そこに刷られている印刷がすべて。そこに書かれている文章がすべて。実写写真そのものがすべて、であり、カタログやWebサイトを見て、それを「言い過ぎに思う」と評価されるのか、買ってくださった顧客たちが、このカメラを使うという経験を経たうえで、「シグマがカタログやWebサイトで言っているのは、こういうことだったんだな…」と、納得していただけるかどうか…。結局は、それがすべてなわけです。

だからこそ僕はシグマ社に対して、「シグマ社側に立って物事を考えていく」というスタンスと、「最終的に買ってくださる顧客の立場から物事を考えていく」というスタンスの、その両方を、常に自分の中に保持しながら、自分自身がシグマのカメラを買った顧客として、このカメラを使う顧客は「何を思うか。何に感動するか。何にガッカリするか。そして、何を誇りに思えるのか」と、そこを、自分自身の体験を通じながら、自分自身で何かを感じ、体験を経験として行けるものが、どこにあるのかを深めて行く必要がある、と考え、アルファ版、ベータ版という未完成の機材を使ってですが、さまざまなテストを行って、体験を経験に置き換えようと努力してきました。

今日は、まずは、僕がこの先DP2に関するエントリーを書いていくにあたって、自分のスタンスがどこにあるかについて書いてみました。この次は、DP1と、DP2というカメラに、どういうミッションを与えようとして行ったかというあたりを(僕が書ける範囲内でですが)書いてみたいと思います。

それから、発売された昨日のうちにDP2を入手された方々は、今日、そして明日と、お天気が悪いので、悶々とされている方も多いかと思います。この先の連休はスッキリ晴れるという天気予報もありますので、どうか、RAWモードで十分な光のある条件下で撮影してみてください。そして、それをPhoto Proで開けて、ダイナミックレンジの豊かさを実感して頂きたいと思っています。

ちなみに、このエントリーのためにアップした写真は、インドネシアでDP2を使って撮影した時に撮ったものです。被写体は巨大なバナナの樹の可憐な花。撮影初日に見たときは、まだ蕾だったのですが、なんとなく気になって毎日毎日チェックしていたところ、雨季特有のスコールが激しく降る四日目の朝に「ぺろーん」っていう感じで花弁が開きました。かなり暗い条件下でしたが、ブレないように必死でDP2をホールドして撮影しました。真ん中に立っているピンクの花弁が15cmぐらいある、かなり大きな花です。熱帯の植物はどれも大きいですね。

Thursday, April 23, 2009

Sigma DP2

いよいよ明日「Sigma DP2」が発売されます。すでに予約された方々には、おそらく今日中に手元に届くと思います。

これまで守秘義務的な側面もあって、あまり語ることが出来ませんでしたが、そろそろこのユニークなカメラのことを書いてもいいかな、という時期になりましたので、今後は色々と書いていきたいと思います。

SD14、DP1、そしてDP2と続けて、それぞれのカメラのブランディングとコミュニケーションコンセプトの組み立てを手がけてきました。どういうカメラとして訴求していくのかの骨子のところを詰めていくのは、そのまま仕様や開発の部分に対しても大きな影響を与えますし、実際に数多くのテストを僕自身で行ってきました。そういった、かなり深い立ち位置で手がけてきたわけなので、「発売」という瞬間が来ると、「どんな風に評価されるだろう…」というドキドキ感や不安はもちろんあるのですが、やはり、この製品が世に出て行く、というところで嬉しさを隠せません。手塩にかけた子供が巣立っていくような感情に近いものを感じています。

DP2は、とにかく素晴らしい描画能力を持ったカメラです。数ヶ月前、ロケ先のホテルの部屋で、アルファ機を使って、終日走り回って撮影してきたRAWデータを現像したとき、自分でも、その画質の高さと解像感に驚きました。それは単なる「解像度」ではなく「解像感」です。でも、何よりも一番驚いたのは、そうして撮影してきた写真をカタログにレイアウトして出稿し、その色校正を受け取ったときです。ハイエンドな一眼レフと高価なレンズなど、プロ用の機材を使って撮影した写真を遥かに超えた刷り上りでした。これには自分でも驚きました。1200dpiのCMYKカラープリンターで確認はしていましたが、実際に印刷で、ここまで出るのか、と驚きました。クリアさと濃密さ。シャープさとボケ足。それらの両立と言えばいいでしょうか。DP2のレンズ性能は筆舌に尽くしがたいものがあります。さらに開放でF2.8という明るさは、DP1のF4よりも1段明るいわけですが、この1段の明るさはとても大きいです。DP1に比べて実際の撮影時の手ブレ率が激減しました(笑)。

まぁ、アルファ機であるプリ・プロダクト・モデルを使ってのロケ撮影は、本当に大変だったんです。その話は、また別の機会に。まずはDP2発売、おめでとうございます!

Friday, April 10, 2009

都下水道局ワッペン作り直し問題について

経緯としては、「水をきれいにするイメージを出したい」という思いを持っていた東京都下水道局の担当の人が、「胸ワッペン」というアプリケーションに、その思いをぶちまけてしまい、ロゴタイプというベイシックエレメントに、デザインガイドラインでは禁止されている表現を指示してしまった。さらに「ガイドラインをちゃんと確認しなかった」ということで懲罰を受けられたというお話です。(上の画像をクリックするとFNNのサイトで報道された動画ニュースが見れます)。

で、僕はもう、デザイン業界を代表してっていうぐらいの勢いで、その懲罰を受けてしまった担当の方にお詫びしたい、という気持ちになります。新聞なども「税金をドブに捨てたムダ遣い」とか、石原都知事が「役人はダメだ」とか、とにかくボコ殴りっぽくお役所が叩かれていますが、これは、本来はデザインガイドラインを作った側、つまり東京都下水道局のCIを担当した側(どこが手がけたのか知りませんけど)の責任です。

僕も多くの企業のデザインガイドラインを作ってきました。その経験上で言うと、エレメントをどのように使っていくかを規定したデザインガイドラインを作成し、それを各所に配布しただけでは、これと同じような事態が、それこそ無数に発生します。もう考えられないような「似て非なる」デザインが、雨後の筍のように次から次へと生成されていくのです。ですから、ビジュアルコミュニケーション面でCIを完結していくには、問題が発生する度ごとに、その個々の現場の要求に応えながら、根気よく整合性を取って行く必要があります。

ですので、僕は必ず「CI規定配布から最低3年は、絶対に現場から目を離してはいけない。そのためのプロジェクトチームを作り、継続的に課題と解決を話し合っていく組織を作ってください」とお願いします。一般的な企業のアイデンテティでさえも、それが必要なのに、さらに税金を使う組織のアイデンテティを手がけるのであれば「間違ったモノを作らないようにするための配慮」は、そのままリスク・マネジメントとも直結しているわけで、絶対に「アイデンテティを作り、アプリケーション規定を行って、ガイドラインにまとめて納品」というところでプロジェクトを終了させてはいけないわけです。そこがちゃんと出来ない会社が多いというのは、デザインそのものの価値を下げてしまうので、業界全体の問題として、一人でも多くの人に、こうした問題を起こさないために、何をしていかなければならないかを考えてもらいたいと思います。

一方、こういうことが起こってしまう背景には、成果物(納品物)ベースで、見積もりや請求・支払いが、一般的な日本の商習慣となって根付いているところにも起因しているのではないかと思います。企業でも「納品物はなになのか?それにこの見積もりは見合うのか」というところで判断され、「問題を起こさないためのノウハウや継続的なサジェスチョン」という目に見えないものは「サービス」と位置づけられてしまうことが少なくありません。お役所は言わずもがなです。これを変えていくためには、ソフトを提供する側が、もっともっと「デザインというのは、ここまですごいんだな」という状態を具現化していくしかありません。僕はそこに向けて今日も頑張っています。みんなも頑張れ!



■追記:石原都知事のお言葉。「バカじゃねえか。本当にたまげた。骨身に染みて反省するよすがにさせる」。お役人は大変だなぁ…。そんなに悪いことだとしらないでやっちゃったんだし、石原さんの何の琴線に触れたかわからないけど、そこまで怒らなくてもいいじゃんと思うな。ここまでボロクソに言うなら「東京オリンピックみたいな、勝てない可能性の高い構想に、いくら使ってんだ、このやろう。その金、全部、小学校の校庭緑化に使いやがれ!」といいたくなる(もう言ってるけど)。



■追記:石原都知事のお言葉(朝日新聞)。asahi.comに別のニュアンスの報道があった。「バカだね。税金に慣れている役所はこわい。東京の下水がきれいと感じる、むしろいいデザインだ。偉い人が規格に合わないと言ったのだろう。取り返しがつかず申し訳ない」。とのこと。石原都知事は「税金を無闇に支出した」というところで琴線に触れたようだ。しかし、ここで知事が「偉い人」と呼んでいる存在こそが問題であり、僕がこのエントリーを書いた理由である。アイデンテティデザインに関わる者は「偉い人」になってはいけない。あるべき姿勢はその真逆であって、限りなく黒子に徹するような姿勢を保つべきだ。そもそも偉そうに指示するだけではアイデンテティは存在する意味を持たない。使っていく人(今回ならお役所の方々)が、そのアイデンテティを正しく「自分のもの」と認識してこそ、アイデンテティはその存在意義を持つ。僕たちは、アイデンテティをデザインすることを目的とせず、そういった理解に向けて「奉仕」して行くのが仕事の本質なのだ。



■追記:東京都下水道局のオフィシャルサイトが二つあるんですけど…。謎です。ていうか、これこそ税金のムダ遣いっぽい。これは「水道局」と「下水道局」の違いでした。僕の勘違い。すみません。
東京都水道局
東京都下水道局公式ホームページ



以下、経緯などを考察したgooの記事(日本のニュースサイトは、過去の記事をアーカイヴせず、すぐにリンク切れになるので転載する)。



制服ワッペン2万枚作り直し、3400万どぶ…都下水道局
読売新聞 2009年4月10日(金)03:06

 東京都下水道局が昨年、制服に付ける都のシンボルマークを添えたワッペンを2万枚作製したところ、シンボルマーク使用に関する内規に反したとしてこれを使わず、新たに約3400万円をかけて、ワッペンを作り直していたことがわかった。

 デザインは組織名の下に5センチ余の波線を付けたシンプルなものだったが、この責任を問い、都は担当幹部2人を訓告処分にしていた。内規を 杓子 ( しゃくし ) 定規に解釈した「お役所仕事」の典型とみられ、公費の支出の在り方に批判が集まりそうだ。

 都下水道局では、所属する計約3000人の職員用に、予備を含めて計約2万着の制服を作っているが、1978年から同じデザインだったため一新することにし、右胸に付けるワッペンも新たに作ることにした。

 ワッペン(縦2・5センチ、横8・5センチ)はシリコン製で、イチョウ形をした都シンボルマークの横に局名を記し、「水をきれいにするイメージを出したい」との願いを込め、その下に水色の波線(約5センチ)を添えることにした。職員が考案したものだった。

 ところが、約2万枚のワッペンが完成し、一部は制服への縫い付け作業が始まった昨年11月に開いた局内の会議で、ワッペンのデザインが、シンボルマークの取り扱いについて定めた都の内規「基本デザインマニュアル」に抵触する疑いが浮上。内規には、マークの位置や文字との比率などが細かく記載されており、誤った使用例として「他の要素を加えない」と規定。同局では今回、この規定を厳格に解釈したという。

 ただ、この規定は例外も認めているが、同局では、波線部分を取り除いて作り直すことを決定。制服を含めた費用は当初、約2億1300万円だったが、新しいワッペンの作製費と縫い替えの費用として、約3400万円を追加支出した。

 都は今年3月、最初のワッペンのデザインを決めた担当の部長と課長(いずれも当時)を訓告処分とした。今月から制服を一新したことは発表したが、ワッペン作り直しに関する一連の事実は公表していない。

 下水道局は「事前に規定を見ていれば防げたもので、担当者のミス。多額の費用負担を生じさせて申し訳ない。次のデザイン更新は何年先になるかわからず、それまで誤ったワッペンを続けることはできなかった」と説明している。

 下水道局を巡っては、JR王子駅(北区)のトイレの汚水が、約40年にわたって近くの川に流れ込んでいた問題で、2007年6月にこの事実を把握しながら、対策を取らずに放置していたことが判明している。

Sunday, April 05, 2009

ティエリー・フリッチの言葉

ブランドとは、言い換えれば人柄そのものだと考えます。生来持つ性格や器量こそが大切。ショーメというブランドの人柄に、従順について行こうと思います」。

ティエリー・フリッチさんは1955年生まれのフランス人。カルティエなどを経て、2001年にショーメ・パリの社長に就任。「ブランドは人柄」。いい言葉だ。「生来持つ性格や器量」に「従順」に。そう、どんなブランドも生まれた瞬間ってものがあるんだよね。

Thursday, April 02, 2009

Yasmina Alaoui & Marco Guerra

ヤスミーナとマルコの、突出した完成度を見せつけられる彼らコラボレーションワークがオフィシャルサイトで見ることが出来る。

身体の造形美を捉える写真そのものに、すでに高い完成度が存在している上に、計算し尽されて重ねられたパターンのマッチング。ここまで二つの要素を融合させていること自体、驚異的な集中力が必要なのは言うまでもないのだが、さらに、それらを融合しながら、マチスへのオマージュや、さまざまなテーマがひとつひとつの作品には重ねられ、見る者の背筋を伸ばさせるような静謐さを漂わせている。ここに存在する完璧さとでも呼ぶべきものは、建築や器や服など、あらゆる造形世界に、通じて存在しうるものであるのは言うまでもない。彼らの作品から、そうした多くの連想を湧き起こしていくことで、きっと新たな発見を見つけ出すことが出来ると思う。

Tuesday, March 31, 2009

エイプリルフール

さて。今日、一気に3月の呟きをまとめ終わったところで、明日から4月です。明るい未来、新年度の開始なわけですが、そのアタマに当然なくてはならないのが「エイプリルフール」。だけど、いざ「エイプリルフール」はどういうネタで?と聞かれると、さすがに今年はホントに困っちゃうよね(笑)。

例えば、政治にしても、経済にしても、温暖化問題にしても、もう何がホントで何がでたらめなのか、日常の中でもまったくわかんない。それは、新聞、雑誌、テレビというマスメディアが、ある種の偏向性(それを「真摯な報道姿勢」と彼らは言う)を持って、情報を流すか、流さないかを決めているために起こっている、という認識を持つに充分に足りるほど、大本営発表の情報には欠落したものが多い、ということをネットで得てしまえることに拠るわけですな。つまり、大本営発表の情報を鵜呑みにしていると、結果的に正しい判断が出来なくなる(流さないことは罪ではないからね)という恐怖が、すでにいま誰の中にも確実に存在しているってのは確かでしょ。

その上、ネット上では、個々の専門家らしき人たちが口角唾飛ばして「アホ・ボケ・カス」論争を勝手に炎上(まぁそれをヲチし続けることである種の枠っていうのは見えてくるわけだけど)させてたりする。また、ソシアルメディア(何がソシアルなんか全然わかんないけど)の中には「へー、そうなんだー」と納得しやすい意図的な釣り餌がいっぱいぶら下がっていて、それらを安易に鵜呑みにすると、後で「うぎゃー、どこまで遡ればいいんじゃー」っていう感じで、その都度、自分のアタマの中の棚卸しをし直さなきゃならん、みたいなことばかり。

だから、「伝統的正論」と「右・左両論」と「ずば抜けたトンデモ」を、常に自分に保持しながら、その都度、自分の視座というものを固めて行かなきゃならーんってのが、「奥さま、それはもう常識ですわよ、おほほ」なわけです(ぐんにゃり)。

考えてみれば、過去のよく出来た「エイプリルフール」のウソって言うのは、ソシアルに見て、何か「まだ完全に知られていない事例」を、ある方向で「信じきってしまう状態」に、一気にパーセプション・チェンジしちゃう!というダイナミズムが存在したと思うわけです(マーケティングの理想形でもありますし、婚約指輪の相応価格とか、バレンタインデーにチョコ送ってるのは偉大なるウソですな)。だから「木に生えるスパゲッティは、いま収穫真っ盛りー」とか「火星に生物がいたぞー」とかは、まさにそういうダイナミズムが効いていて、微笑ましいというか、いやぶっちゃけ「人類はバカだったんだなー(笑)」としか思えないわけです。

そんなのを、いま、この時代に、それも明日までに考えろ!って、そりゃ無理ですよ。今なら「MicrosoftがGoodleの買収に乗り出す(米国政府筋)」とかぐらいしか思いつきません。ブラック入れるなら「ソフトバンク孫社長、米Apple社「iPhone」事業買収を発表」とかかな(笑)。とにかく、今年は、そういうページを偽装で作る余力ありませんのであしからずー。