気軽に書き始めたこのDP3 Merrillサンプルギャラリーの撮影メモですが、いざ言語化していくとなるとむずかしいものですね。思っている以上に時間もかかりますが、最後まで続けて行きたいと思います。今日は「DP3M-15」番からの写真です。
DP3M-15
昨日のエントリーの13番に、セイケトミオさんが天使にカメラを向けておられる時の「心の持ちよう」の話を書きました。あたりまえですが僕が天使を撮っているときとは大違い。僕はもう構図と露出を決めるので精一杯で、その時の「心」と言えば「シルエットがかっこいい」という程度のものです(恥ずかしい)。まぁ、「セイケさんは偉大な写真家であって、もう神ですからー」とか言い訳してみても始まらないので、今後はセイケさんの教えをしっかりと自分のものにして行きたいと思います。さてこの写真、かなり現像で印象を起こしています。この「起こす」というのは、RAWでの記録で撮影するからこそ可能なのですが、奥の空の明るく飛び気味なところはアンダーに抑えて雲の調子を出し、黒く潰れた手前の天使のシルエットは逆にハイライト部分を起こして暗い中にも羽根や腕の立体感を出そうとしています(X3 Fill Light:を+1.2まで使っています)。明るい部分を暗く(調子を出す)、暗い部分を明るく(質感を出す)する。この相反した調整を、同時に出来るのがシグマのX3FというRAWデータの素晴らしいところです。これは使った人にしかわからない事だと思うので、シグマさんには是非、X3Fデータのダウンロードと、Photo Proの試用版の提供など、この現像体験が出来るようにするお許しを頂きたいものです。
DP3M-16
昨日ご紹介したプラハの丘の上にそびえ立つぺトシーン鉄塔からのプラハ城遠景撮影(10番)を終え、299段ある螺旋階段を下まで降りてきたとき、寒さにブルブル震えながら飼い主を一生懸命探しているプードルがいました。近づくと怯えた表情を見せましたが、しゃがんで話しかけ、身体をさすってあげると落ち着いたようで、震えも止まり、写真を撮らせてくれました。彼女は左眼が白く、たぶん白内障にかかっていてほとんど見えていないのだと思いますが、しっかりカメラ目線を送ってくれました。開放F2.8で撮ったので少し後ピンになっているのが気になるかもしれません。でも、優しいご主人がこの子を大切に育てていることがわかる丁寧にカットされた毛並みは見事に写りました。これぐらいの光でもISO100で1/125秒で撮れるなら、発売される実機のISO感度を200に設定すれば1/500秒で撮れますから、手ブレの心配もなく、きっと使い勝手に問題はないと思われます。そういえば、この写真を撮ったあと、ドイツ人の方に声をかけられ、「おっ、シグマのDPだね。見りゃわかるよ。あれ、レンズ長いね。新しい製品かい?」と聞かれてびっくりしました。まだDP3が開発されていることすら誰も知らない時期でしたので、「お願いだからfacebookとかに書かないでね」と懇願したのもこの写真を撮ったときの思い出です。
DP3M-17
コカ・コーラってすごいですよね。世界中、どこに行っても必ずある。そして、それぞれ国ごとにキチンとエリア・マーケティングがされている。さらに、その国々でのコークの表現がある。コカ・コーラのマーケティング素材は被写体としても魅力的で、モロッコで撮影したDP2 Merrillのサイトにも一枚載せましたし、オレゴンでのDP1 Merrillの撮影でも古い看板と出会いました。これだけフォトジェニックなブランドは他にはありません。そんなコカ・コーラ。プラハではプラハらしい佇まいで僕を待っていてくれました。この写真は、元は「日陰」モードで撮りましたが、あまりに鄙びた調子に写ったので、現像で「オート」に戻し、現物の色を再現しました。実際、これを撮った場所は北駅からさらに北に裏路地を入った、いわゆる危ないエリアで、堂々と三脚立てて撮るというのは無理。なのでブレないようにガラス面に身体を押し付けながらカメラをホールドして撮りました。夕方の曇天という弱い光で、さらに窓越しなのに、黒いコークの部分が潰れず、立体になっているのがわかります。こういう僅かな光も確実に拾うところもMerrillセンサーならではの特徴だと思います。
DP3M-18
実は、この絵になるカップルの後ろ姿を見つけたのはセイケさんなのです。街の中心部に来た時、ぱぁーっと日差しが出て、影が落ち、街の見え方が一変しました。コントラストが強まり、逆光からのシルエット的な絵を僕は目で探っていました。そのとき、「むっ」というセイケさんの小さな声が聞こえました。振り返ると、公園のベンチに座るこのカップルたちに忍び寄るように近づいて行きます。こうしたフォトジェニックな被写体を見つける能力も写真家の目なのです。セイケさんはこの写真よりも左斜め後ろに移動され、もっと広い構図を探っておられたようです。僕は素直に真後ろからこの構図に決めてまず撮りました。撮影モードの設定は、絞り優先のISO100、絞りは開放F2.8、色温度は「オート」で、僕のデフォルトの設定のままです。これを撮ったあと、設定を変えて撮ろうとしたら、この二人のまわりに沢山の人が来てしまい雑然としてしまいました。見つけたらすぐカメラを構えてパッと撮る。そんな感じで撮れた一枚です。奥の教会の描写、樹木の細かく輝く開放でのボケ具合、そして合焦している手前の人物。これらが相まって感じる確かな距離感も見て頂きたくて、この写真をギャラリーに掲載することにしました。
DP3M-19
チェコはクリエイティブな文化が育まれた歴史を持っています。写真はもとより、タイポグラフィの世界でも、ブックデザインの世界でも、素晴らしい歴史を持っています。そういう背景があるからでしょうか、撮っている最中に「どう撮ってるのか見せてよ」と言われたのは一度や二度ではありませんでした。写真やカメラが好きの人が多いんですね。この写真は中古カメラ屋さんのショーウィンドウです。開店前のシャッターが降りている時間でしたので(でも沢山の人が開店を待っている)、網目になっているシャッターの間から、飾られていた8ミリカメラを撮っています。被写体の下のレンズに網目が映り込んでいますね。これも絞りはF2.8の開放です。ホワイトバランスは「日陰」の設定で普通に撮りましたが、いい味の色がそのまま出てくれました。こうした古いカメラが高値で売られ、それを眺めに多くの人が集まってくるという光景は、なんとも言えない微笑ましさがあって、僕もなぜかこの場所から離れ難かったのを覚えています。
DP3M-20
窓越しの写真が続きますが、このように窓に映り込むリフレクションを被写体に重ね合わせての絵を模索するのは、僕のこれまでのDPシリーズでの撮影を重ねる中で得たひとつの表現手段です。一方で、プラハはこういう光景で絵になる場所はとても少ないのです。街の中心部の観光地は別ですが、少し離れた庶民の街ではウィンドウディスプレイ自体がほとんどありません。共産圏だったからかもしれませんし、寒い地域というのもあるのでしょうか、「見せている」という光景は建物の中にあり、外側の建物はどれも威圧的な佇まいです。さて、この写真はマリオネットの劇場近くの人形屋さんです。この老婆は頭が掌ほどある大きなものでした。デフォルメされ誇張された立体的な顔。藁で作られた白髪や、骨ばった手。さらに渋い色に染められた衣装やウールの襟巻きなど、すべてが魅力的で、引き寄せられるように撮りました。顔の正面から目線が来ている構図も狙いましたが、右目と左目が違うところを見ているように作られていることに気づき、この写真の角度に構図を合わせ直して撮りました。これも開放F2.8の絞りです。
DP3M-21
この写真に写っているのは「JOSEF SUDEK」の写真集です。ISO100、絞り開放F2.8で、シャッタースピードは1/320秒で撮っています。このヨセフ・スーデックは、プラハの写真家です。そして今回、プラハでのロケに決めたのも、このスーデックさんという写真家が背景にあります。その理由はサイトのコラム「純朴という名の郷愁」の序文にあるとおり、写真家・セイケトミオにとって重要な意味を持つ写真家であり、今回のプラハでのセイケさんの撮影のトーンを強く導いたとも言えるでしょう。スーデックさんは、第一次世界大戦で右腕を失うという悲痛事を越え、写真家として数多くの作品を残しました。特に印象的なのは、ナチによって作家活動の弾圧を受けた時代の、彼の小さなアトリエで撮られた窓からの眺めの写真です。抑圧された中で撮られたのに、その写真から立ち上がってくるものは命への慈しみ溢れる優しい眼差しです。その写真に込められた「心」に感銘を受けたセイケさんは、スーデックさんの写真にある光を確かめたいと、後を追いかけるようにプラハに何度も足を運ばれました。そしてセイケさんは僕にこう語ってくださいました。「どこにもなかったんだよ。その光は。だからね、もう自分の光は自分で見つけなさいと、そういう風にスーデックさんに言われたような気がしたんだ」と。そうしてセイケさんは今回のプラハでの撮影に向かわれました。「スーデックの光を求めてプラハへ」ではなく、「プラハでセイケトミオの光を見つける」旅だったのです。徹底したオリジナリティが立ち上がってくる今回のセイケさんの写真には、そういう覚悟のようなものが存在しているのです。
なんかスーデックさんの話を書いていて、自分の写真のメモから離れてしまいましたが、プラハに来ることになった理由とも言えるスーデックさんの写真集が飾られている光景に出会えたのは奇跡のように感じました。そしてセイケさんもこの光景を撮られました。それはティザーサイトの最初のロゴが重なるこのカットです。僕のようなあたりまえの構図で撮らないところが写真家の目です。
さて、今回のDP3 Merrillでの撮影で、セイケトミオさんが撮られた写真の数々は、これまでのカメラのカタログやプロモーションで使用されてきた「作例タイプ」のものとはまったく異質なものと誰もが感じておられると思います。同時に、僕がセイケさんにDP3 Merrillのデビューのために撮影してもらえませんかとお願いしたとき、セイケさんも強い戸惑いを感じられたことと思います。
しかし実現することができた。それは、何度も繰り返すようですが、よくある被写体を撮った作例を見て、カメラの良し悪しを判断する次元から、写真そのものに没入する歓び、作品としての写真づくりという視座、という新たな次元に、このカメラを手にする方を誘いたい。そのためにも、勇気を持って一歩前に進み出ることが、いまなすべきことではないか。そういう僕の思いを、セイケさんに真正面からぶつけたとき、セイケさんの中に、微かに共感出来るものを感じてくださったからだと思います。
そして何よりも、これはシグマの山木社長の写真への強い情熱と深いご理解があってのことです。理解されにくいかもしれない新たな次元への前進を許してくださった山木社長のご英断あってのことです。ありがとうございました。今日はここまでにします。明日からも頑張って続きを書きますね。
→ SIGMA DP3 Merrill : Sample Gallery: 4 へ
DP3M-15
昨日のエントリーの13番に、セイケトミオさんが天使にカメラを向けておられる時の「心の持ちよう」の話を書きました。あたりまえですが僕が天使を撮っているときとは大違い。僕はもう構図と露出を決めるので精一杯で、その時の「心」と言えば「シルエットがかっこいい」という程度のものです(恥ずかしい)。まぁ、「セイケさんは偉大な写真家であって、もう神ですからー」とか言い訳してみても始まらないので、今後はセイケさんの教えをしっかりと自分のものにして行きたいと思います。さてこの写真、かなり現像で印象を起こしています。この「起こす」というのは、RAWでの記録で撮影するからこそ可能なのですが、奥の空の明るく飛び気味なところはアンダーに抑えて雲の調子を出し、黒く潰れた手前の天使のシルエットは逆にハイライト部分を起こして暗い中にも羽根や腕の立体感を出そうとしています(X3 Fill Light:を+1.2まで使っています)。明るい部分を暗く(調子を出す)、暗い部分を明るく(質感を出す)する。この相反した調整を、同時に出来るのがシグマのX3FというRAWデータの素晴らしいところです。これは使った人にしかわからない事だと思うので、シグマさんには是非、X3Fデータのダウンロードと、Photo Proの試用版の提供など、この現像体験が出来るようにするお許しを頂きたいものです。
DP3M-16
昨日ご紹介したプラハの丘の上にそびえ立つぺトシーン鉄塔からのプラハ城遠景撮影(10番)を終え、299段ある螺旋階段を下まで降りてきたとき、寒さにブルブル震えながら飼い主を一生懸命探しているプードルがいました。近づくと怯えた表情を見せましたが、しゃがんで話しかけ、身体をさすってあげると落ち着いたようで、震えも止まり、写真を撮らせてくれました。彼女は左眼が白く、たぶん白内障にかかっていてほとんど見えていないのだと思いますが、しっかりカメラ目線を送ってくれました。開放F2.8で撮ったので少し後ピンになっているのが気になるかもしれません。でも、優しいご主人がこの子を大切に育てていることがわかる丁寧にカットされた毛並みは見事に写りました。これぐらいの光でもISO100で1/125秒で撮れるなら、発売される実機のISO感度を200に設定すれば1/500秒で撮れますから、手ブレの心配もなく、きっと使い勝手に問題はないと思われます。そういえば、この写真を撮ったあと、ドイツ人の方に声をかけられ、「おっ、シグマのDPだね。見りゃわかるよ。あれ、レンズ長いね。新しい製品かい?」と聞かれてびっくりしました。まだDP3が開発されていることすら誰も知らない時期でしたので、「お願いだからfacebookとかに書かないでね」と懇願したのもこの写真を撮ったときの思い出です。
DP3M-17
コカ・コーラってすごいですよね。世界中、どこに行っても必ずある。そして、それぞれ国ごとにキチンとエリア・マーケティングがされている。さらに、その国々でのコークの表現がある。コカ・コーラのマーケティング素材は被写体としても魅力的で、モロッコで撮影したDP2 Merrillのサイトにも一枚載せましたし、オレゴンでのDP1 Merrillの撮影でも古い看板と出会いました。これだけフォトジェニックなブランドは他にはありません。そんなコカ・コーラ。プラハではプラハらしい佇まいで僕を待っていてくれました。この写真は、元は「日陰」モードで撮りましたが、あまりに鄙びた調子に写ったので、現像で「オート」に戻し、現物の色を再現しました。実際、これを撮った場所は北駅からさらに北に裏路地を入った、いわゆる危ないエリアで、堂々と三脚立てて撮るというのは無理。なのでブレないようにガラス面に身体を押し付けながらカメラをホールドして撮りました。夕方の曇天という弱い光で、さらに窓越しなのに、黒いコークの部分が潰れず、立体になっているのがわかります。こういう僅かな光も確実に拾うところもMerrillセンサーならではの特徴だと思います。
DP3M-18
実は、この絵になるカップルの後ろ姿を見つけたのはセイケさんなのです。街の中心部に来た時、ぱぁーっと日差しが出て、影が落ち、街の見え方が一変しました。コントラストが強まり、逆光からのシルエット的な絵を僕は目で探っていました。そのとき、「むっ」というセイケさんの小さな声が聞こえました。振り返ると、公園のベンチに座るこのカップルたちに忍び寄るように近づいて行きます。こうしたフォトジェニックな被写体を見つける能力も写真家の目なのです。セイケさんはこの写真よりも左斜め後ろに移動され、もっと広い構図を探っておられたようです。僕は素直に真後ろからこの構図に決めてまず撮りました。撮影モードの設定は、絞り優先のISO100、絞りは開放F2.8、色温度は「オート」で、僕のデフォルトの設定のままです。これを撮ったあと、設定を変えて撮ろうとしたら、この二人のまわりに沢山の人が来てしまい雑然としてしまいました。見つけたらすぐカメラを構えてパッと撮る。そんな感じで撮れた一枚です。奥の教会の描写、樹木の細かく輝く開放でのボケ具合、そして合焦している手前の人物。これらが相まって感じる確かな距離感も見て頂きたくて、この写真をギャラリーに掲載することにしました。
DP3M-19
チェコはクリエイティブな文化が育まれた歴史を持っています。写真はもとより、タイポグラフィの世界でも、ブックデザインの世界でも、素晴らしい歴史を持っています。そういう背景があるからでしょうか、撮っている最中に「どう撮ってるのか見せてよ」と言われたのは一度や二度ではありませんでした。写真やカメラが好きの人が多いんですね。この写真は中古カメラ屋さんのショーウィンドウです。開店前のシャッターが降りている時間でしたので(でも沢山の人が開店を待っている)、網目になっているシャッターの間から、飾られていた8ミリカメラを撮っています。被写体の下のレンズに網目が映り込んでいますね。これも絞りはF2.8の開放です。ホワイトバランスは「日陰」の設定で普通に撮りましたが、いい味の色がそのまま出てくれました。こうした古いカメラが高値で売られ、それを眺めに多くの人が集まってくるという光景は、なんとも言えない微笑ましさがあって、僕もなぜかこの場所から離れ難かったのを覚えています。
DP3M-20
窓越しの写真が続きますが、このように窓に映り込むリフレクションを被写体に重ね合わせての絵を模索するのは、僕のこれまでのDPシリーズでの撮影を重ねる中で得たひとつの表現手段です。一方で、プラハはこういう光景で絵になる場所はとても少ないのです。街の中心部の観光地は別ですが、少し離れた庶民の街ではウィンドウディスプレイ自体がほとんどありません。共産圏だったからかもしれませんし、寒い地域というのもあるのでしょうか、「見せている」という光景は建物の中にあり、外側の建物はどれも威圧的な佇まいです。さて、この写真はマリオネットの劇場近くの人形屋さんです。この老婆は頭が掌ほどある大きなものでした。デフォルメされ誇張された立体的な顔。藁で作られた白髪や、骨ばった手。さらに渋い色に染められた衣装やウールの襟巻きなど、すべてが魅力的で、引き寄せられるように撮りました。顔の正面から目線が来ている構図も狙いましたが、右目と左目が違うところを見ているように作られていることに気づき、この写真の角度に構図を合わせ直して撮りました。これも開放F2.8の絞りです。
DP3M-21
この写真に写っているのは「JOSEF SUDEK」の写真集です。ISO100、絞り開放F2.8で、シャッタースピードは1/320秒で撮っています。このヨセフ・スーデックは、プラハの写真家です。そして今回、プラハでのロケに決めたのも、このスーデックさんという写真家が背景にあります。その理由はサイトのコラム「純朴という名の郷愁」の序文にあるとおり、写真家・セイケトミオにとって重要な意味を持つ写真家であり、今回のプラハでのセイケさんの撮影のトーンを強く導いたとも言えるでしょう。スーデックさんは、第一次世界大戦で右腕を失うという悲痛事を越え、写真家として数多くの作品を残しました。特に印象的なのは、ナチによって作家活動の弾圧を受けた時代の、彼の小さなアトリエで撮られた窓からの眺めの写真です。抑圧された中で撮られたのに、その写真から立ち上がってくるものは命への慈しみ溢れる優しい眼差しです。その写真に込められた「心」に感銘を受けたセイケさんは、スーデックさんの写真にある光を確かめたいと、後を追いかけるようにプラハに何度も足を運ばれました。そしてセイケさんは僕にこう語ってくださいました。「どこにもなかったんだよ。その光は。だからね、もう自分の光は自分で見つけなさいと、そういう風にスーデックさんに言われたような気がしたんだ」と。そうしてセイケさんは今回のプラハでの撮影に向かわれました。「スーデックの光を求めてプラハへ」ではなく、「プラハでセイケトミオの光を見つける」旅だったのです。徹底したオリジナリティが立ち上がってくる今回のセイケさんの写真には、そういう覚悟のようなものが存在しているのです。
なんかスーデックさんの話を書いていて、自分の写真のメモから離れてしまいましたが、プラハに来ることになった理由とも言えるスーデックさんの写真集が飾られている光景に出会えたのは奇跡のように感じました。そしてセイケさんもこの光景を撮られました。それはティザーサイトの最初のロゴが重なるこのカットです。僕のようなあたりまえの構図で撮らないところが写真家の目です。
さて、今回のDP3 Merrillでの撮影で、セイケトミオさんが撮られた写真の数々は、これまでのカメラのカタログやプロモーションで使用されてきた「作例タイプ」のものとはまったく異質なものと誰もが感じておられると思います。同時に、僕がセイケさんにDP3 Merrillのデビューのために撮影してもらえませんかとお願いしたとき、セイケさんも強い戸惑いを感じられたことと思います。
しかし実現することができた。それは、何度も繰り返すようですが、よくある被写体を撮った作例を見て、カメラの良し悪しを判断する次元から、写真そのものに没入する歓び、作品としての写真づくりという視座、という新たな次元に、このカメラを手にする方を誘いたい。そのためにも、勇気を持って一歩前に進み出ることが、いまなすべきことではないか。そういう僕の思いを、セイケさんに真正面からぶつけたとき、セイケさんの中に、微かに共感出来るものを感じてくださったからだと思います。
そして何よりも、これはシグマの山木社長の写真への強い情熱と深いご理解があってのことです。理解されにくいかもしれない新たな次元への前進を許してくださった山木社長のご英断あってのことです。ありがとうございました。今日はここまでにします。明日からも頑張って続きを書きますね。
→ SIGMA DP3 Merrill : Sample Gallery: 4 へ
よいお話を、ありがとうございました。とくにセイケ巨匠の、
ReplyDelete「どこにもなかったんだよ。その光は。だからね、もう自分の光は自分で見つけなさいと、そういう風にスーデックさんに言われた」
このお言葉はこころに染み通るようであります。スーデックの光と影こそ写真を職業とするもの、趣味とするものすべてが追い求めるものでもあります。しかし巨匠はご自分の光を見つけることに回心された、ここにその偉大さがあると思います。
セイケ巨匠が使用されるデジタル・カメラは、LeicaとSigmaのみ。そこにわれわれがSigmaに求める秘密の何かがあるように思います。
今回の福井さんのDP3に関するお仕事は、今までにも増して貴重なものでした。深甚な感謝を捧げます。
いつも励ましてくださってありがとうございます。まだまだ残りを書かなきゃーです。頑張ります。
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ReplyDeleteThe classic poker chi titanium flat irons hands that players are happy about. buy metal online Their quality is outstanding, and 2020 edge titanium they use the highest quality material. samsung titanium watch You can expect cost of titanium to receive an awesome $20.00 · In stock