
Wednesday, February 22, 2006
Sony Bravia

Friday, November 25, 2005
Japan of The Meiji Era

この本を開けてみてまず驚くのが当時の日本の美しさである。人々はもちろん着物姿であり、地方都市はすべて木造の家が立ち並ぶ。横浜や神戸、そして長崎などの街中には洋館が散見されるが、そうした建物の前に立つ街路灯や、洋館の脇に立つ電柱や電線に強い違和感を感じさせる。普通の都市の街並みは、瓦屋根の家が延々と立ち並び、公害もなければ排気ガスもない清々した空気が写真から立ち上がってくる。そしてその澄んだ空気の中で目を引くのは神仏を祀った美しい木造建築の社であり、また畏怖の念を起こさせるに十分に雄大な大自然である。舗装されていない土道の脇には直径5メートル近い巨木が普通に立ち並ぶ。山は聳えたち滝は神々しく流れ落ちる。日本人の原風景とはこういう世界なのだと記憶の彼方にある景色と重なって妙に心を打つものであった。
左上の写真は大阪の心斎橋を撮ったものだ。今では見る影もないが、鰻谷と呼ばれた一帯の風情が見て取れる。この時代にしては随分立派な鉄橋である。それは直後に一行が向かった京都の嵐山の渡月橋などと見比べるとよくわかる。そしてこの頃から一気に日本の風情は崩れ始め、西欧化の波に飲み込まれていったことがよくわかる。もうひとつ驚くのは、この秘蔵写真を撮影したのが日本人であることだ。名前は臼井秀三郎。横浜で写真館を開業していた写真師である。彼の巧みな露出と構図はどこかアンセル・アダムスを思い起こさせるほどに素晴らしい。そこには余計な演出が存在しない潔さがあるのだ。同様の本として有名なのは、スコット南極探検に同行した写真家ハーバード・ポンディングが残した「この世の楽園・日本」という本だろう。ポンディングはまぎれもなく誇り高き英国紳士であった。明治に日本に訪れた多くの外国人は骨董を求めて日本に来ている。だがその骨董を育んだ日本文化に敬意を払わず、同時に日本人を非近代的と軽蔑して傍若無人な振る舞いに明け暮れた。それに対してポンディングは非常に道徳的であったことがこの本を読むとよくわかる。こよなく日本を愛し、数年に亘って日本に住んで、深く日本の文化に尊敬の念を持って接していることがわかる。だが著名な写真家である彼の残した当時の日本の写真は、その多くが余計な演出が入っていて、日本人の僕は限りなく興醒めする。風俗は写し込まれているがどこか絵はがきの域を出ないのだ。そんな写真ではあるが、ポンディングが日本を撮ったのは明治35年頃。臼井が撮った時期からすると20年の歳月が経っているのだが、大都市以外の日本の街並みは大きくは変っていない。


Friday, October 21, 2005
Avedon dead...

Monday, August 01, 2005
about shinzlog - Clip
shinzlogのインデックスに記した内容の繰り返しになるが、少し書き足して、このサイトの最初に、まずこのエントリーを置いておく。どんな仕事でも同じだと思うが、自分の職業であるアートディレクターという仕事は、本当に勉強に終わりがない。職人や演劇やスポーツなどの世界では円熟し切ったという境涯はあるようだが、学習して自分を高めていくという部分では、どの世界でも終わりはないのではないだろうか。そして、そうした打ち込めるものを持ち、同時にそれを生業として生きることが出来る自分は幸せなのだと思う。アートディレクターとして終わりのない学習。それは実はとても孤独で苦しいものだ。言われればどんな課題にも涼しい顔をして的確なアイデアを出す。それがアートディレクターの本領だ。だがどんな課題がきてもという状態に備えるのは並大抵では務まらない。頭を過ぎった興味や好奇心を絶対に粗末にしないこと。繰り返し学習を継続すること。そしてなによりも必要なのは確固たる方程式を持つことだ。
答えを導き出す確固たる方程式。それはどこにも書かれていないし、解説されたものもない。だが禅定のように、優れた仕事を前にじっと佇むことで、それを為した作り手の声は聞こえてくるし、彼の持つ方程式も見えてくる。それが見えればあとは簡単だ。それを自分のものとするために見いだした方程式に自分の持つ因数を当てながら確かめて行けばいい。ものすごくわかりやすい例で言えば、僕はバウマンのタイポグラフィの作品と長い長い時間をかけて対峙し、そこにある方程式を自分なりに見いだし、分解してから取り込んで僕の方程式を発展進化させた。後にバウマンに会えたとき、自分が読み解いた彼の方程式が間違っていなかったことを確かめられて深い充足感を覚えたことがある。アレクセイ・ブロドヴィッチも同じである。ブロドヴィッチの場合は、まさにアートディレクションそのものを彼の残した作品から読み解いた。そして彼の仕事からアヴェドンに繋がり、同時にアヴィング・ペンにも飛び火して、ファッションと静物に関する方程式を自分の中に刻み込んだ。こうした作業は今も間断なく僕の頭の中で繰り返されている。
一方、方程式は見いだせても、その方程式にのせる因数が貧弱で少ないとアートディレクターには成り得ない。わがままで理不尽で身勝手で手札の少ないえせアーティストになってしまう。ここで言う因数たるものは、あらゆる方向に広がって存在している。どこにでもある事象のひとつひとつだ。それらを出来るだけ幅広く、且つ、深く、確実な知識として持たねばならない。同時に明瞭な分析を行って自分の方程式に乗せられる因数化の作業が必要になる。そうした作業の結果は目に見えるものとしては現れない。だが少なくとも自分の脳髄のどこかに刻まれている記憶に対して縦横無尽にインパルスを走らせることで、自分の中に深まりを見いだすことは出来る。ここに記録していくのは、その深まりの追跡ではなく、幅広く枝葉を広げる段階の記録になるであろう。しかし、こうした作業を継続することは、もう一度、方程式そのものを進化させることに繋がると僕は信じている。
答えを導き出す確固たる方程式。それはどこにも書かれていないし、解説されたものもない。だが禅定のように、優れた仕事を前にじっと佇むことで、それを為した作り手の声は聞こえてくるし、彼の持つ方程式も見えてくる。それが見えればあとは簡単だ。それを自分のものとするために見いだした方程式に自分の持つ因数を当てながら確かめて行けばいい。ものすごくわかりやすい例で言えば、僕はバウマンのタイポグラフィの作品と長い長い時間をかけて対峙し、そこにある方程式を自分なりに見いだし、分解してから取り込んで僕の方程式を発展進化させた。後にバウマンに会えたとき、自分が読み解いた彼の方程式が間違っていなかったことを確かめられて深い充足感を覚えたことがある。アレクセイ・ブロドヴィッチも同じである。ブロドヴィッチの場合は、まさにアートディレクションそのものを彼の残した作品から読み解いた。そして彼の仕事からアヴェドンに繋がり、同時にアヴィング・ペンにも飛び火して、ファッションと静物に関する方程式を自分の中に刻み込んだ。こうした作業は今も間断なく僕の頭の中で繰り返されている。
一方、方程式は見いだせても、その方程式にのせる因数が貧弱で少ないとアートディレクターには成り得ない。わがままで理不尽で身勝手で手札の少ないえせアーティストになってしまう。ここで言う因数たるものは、あらゆる方向に広がって存在している。どこにでもある事象のひとつひとつだ。それらを出来るだけ幅広く、且つ、深く、確実な知識として持たねばならない。同時に明瞭な分析を行って自分の方程式に乗せられる因数化の作業が必要になる。そうした作業の結果は目に見えるものとしては現れない。だが少なくとも自分の脳髄のどこかに刻まれている記憶に対して縦横無尽にインパルスを走らせることで、自分の中に深まりを見いだすことは出来る。ここに記録していくのは、その深まりの追跡ではなく、幅広く枝葉を広げる段階の記録になるであろう。しかし、こうした作業を継続することは、もう一度、方程式そのものを進化させることに繋がると僕は信じている。
Sunday, February 29, 2004
rest, today 0229/04
眠りの迷宮に迷い込む。これがデジャブのような錯覚。個々がスタックカードになったような感覚で、さらにインタラクティブ性も持っていたりして不思議な感覚。まるで良く出来たファンタジーなサイトをブラウズしているよう。どこからが映像で、どこからがスタティックなのかも気にならない。すいすい行くことも出来て、立ち止まって話し掛けられたりもする。色彩も多様に変化。宙に漂うものもすいっと拾い上げられる。ロールプレインのような物語の読み解きでありながら、文脈は消えず誘いの引力を感じつづける…。起きてから、仕事上のものすごいプレッシャーが自分にかかっていることを自覚。あほかと。夢見てる場合ちゃうど、と。さっさと具現化せんかい、と自分を戒める。
Saturday, February 28, 2004
rest, today 0228/04
なんなんだろう。何か精神的な理由だろうか、このところの睡眠不足生活のリバウンドだろうか。とにかく眠い。起きて色々。しかし眠気が襲ってくる。カフェでモノ書き。しかし眠い。今日は逆らわずに身体を休める。
Friday, February 27, 2004
works, today 0227/04
仕事に集中。9時、もう朝。一瞬考えて、やっぱり一旦帰宅。目覚ましセットしてばたんきゅ。ぐー。12時、起床。短時間だが熟睡。顔を洗って会社に戻る。13時、某巨大イヴェントの案件で急遽の対処。正直、その件も責任を持って取り組むとしたとき他との兼ね合いを考えるとキャパを超えてしまい、結果、誰もが不完全燃焼に陥ると判断。信頼できる古くからの友人に振る決断。喜んで、ということで一件落着。14時、個人面談。経営者としてではなく人間として接する。15時、昨夜から突付けてきているデザイン作業に戻る。
16時、bAへの応募者の面接。健全な上昇志向が垣間見えて好感。17時、デスクに戻ってデザイン再開。19時、うぉー、orkut経由で、僕の JavaScriptの師匠である高橋さんからメール。いやー、ご無沙汰しててすみません。20時、ようやくデザインの骨子が固まったので、アシスタントを集めて世界観の説明。エッセンスを定着させるための準備を指示。21時、人に説明すると自分の内の整理がつく、と良く言うが、まさにその状態。ここ10 日ほどスタディを繰り返しながら溜め込んできたアイデアが、すこっと抜けるように掴める感触。その心地よい感覚に乗って、そのまま作業継続。24時、来週の予定を確認し、それに向けて週末をどう使うかを決めて退社。広尾の「丸亀製麺所」で軽く食べて帰宅。
16時、bAへの応募者の面接。健全な上昇志向が垣間見えて好感。17時、デスクに戻ってデザイン再開。19時、うぉー、orkut経由で、僕の JavaScriptの師匠である高橋さんからメール。いやー、ご無沙汰しててすみません。20時、ようやくデザインの骨子が固まったので、アシスタントを集めて世界観の説明。エッセンスを定着させるための準備を指示。21時、人に説明すると自分の内の整理がつく、と良く言うが、まさにその状態。ここ10 日ほどスタディを繰り返しながら溜め込んできたアイデアが、すこっと抜けるように掴める感触。その心地よい感覚に乗って、そのまま作業継続。24時、来週の予定を確認し、それに向けて週末をどう使うかを決めて退社。広尾の「丸亀製麺所」で軽く食べて帰宅。
Thursday, February 26, 2004
works, today 0226/04
深夜、帰宅。眠いけど明け方までスタディし、6時、就寝。11時、起床。体がだるい。軽く食べてから作業再開し黙々。15時、会社に向かうが異常な渋滞。16時、日経コンピュータの取材。記者の方から色々お話を聞くと、SEのワークスタイルは相変わらず「希望通りに必死に作る」とのこと。しかし仕様は相変わらずシステム寄りで、機能は実装されたが使う側の都合との乖離が大きい場合が多い。相当根深いようだ。とにかく「仕様を忘れて客の問題の本質に目を向けること」と、何度も話した。ユーザビリティなんていうのは事前に客を知っていれば問題を起すことなど一切ない。単に作る前の準備が足りないだけ。
18時、某巨大商社ファッション系のコンサルタント来社。某アパレル企業の経営コンサルを1年続け、新ブランド展開の話がようやく具体化の運びとなったので是非手伝って欲しいとのこと。コンセプトマップを見て主旨は理解。すぐにイメージも湧いたので引き受けることに。仕事はロゴ、色素材、パッケージ、織ネーム等付属品、その他アプリケーションなどのアイデンテティ全般。さらにブランドイメージ作りのため撮影とデザイン。アウトプットはカタログとウェブサイト。20時、某社コンテンツ企画の進捗確認。21時、デザインに戻る。そのまま徹夜。ぐぅ。
18時、某巨大商社ファッション系のコンサルタント来社。某アパレル企業の経営コンサルを1年続け、新ブランド展開の話がようやく具体化の運びとなったので是非手伝って欲しいとのこと。コンセプトマップを見て主旨は理解。すぐにイメージも湧いたので引き受けることに。仕事はロゴ、色素材、パッケージ、織ネーム等付属品、その他アプリケーションなどのアイデンテティ全般。さらにブランドイメージ作りのため撮影とデザイン。アウトプットはカタログとウェブサイト。20時、某社コンテンツ企画の進捗確認。21時、デザインに戻る。そのまま徹夜。ぐぅ。
Wednesday, February 25, 2004
works, today 0225/04
帰宅してからも早めにデザインを進めなければ後が苦しくなるぞ感覚が消えず自宅でワーク継続。週末から緩電位なプレッシャーが数日続いている。昼間は打ち合わせや企画が多く集中的にデザインに向かえるのは深夜だけ。眠くて辛いが、あとでもっと辛くなるので仕方ない。さらに今日は実家の処務を片付けるため大阪に行く必要があり、余計に時間が足りない感が募っている。午前中デザイン作業。
12時、東京駅。15時すぎ、大阪の実家到着。仏壇に手を合わすも、いつも頂骨が置かれていた場所が空いていて少しの寂しさ。16時、某所に兄と出向き懸案の対処。新たな遺品を持ち帰り自宅で確認。思いつく事を兄と話し合う中で新たな先に気づき急ぎ連絡。無碍に断られて当然のところ、すぐに会えた上に事情を細かく聞かず速やかなる解決に必要な事だけを丁寧且つ端的に示されて心から感謝。時計を見ると20時。今夜は絶対に東京に戻らねばならないので出たところで兄と別れ実家に戻らず直接新大阪に向かう。新幹線で移動中、逆の窓側に座った大地真央さん(やっぱすげー美人)に気を取られず(謎)車中黙々とデザイン作業。23 時、東京駅。
今日、両親が亡くなって以来、初めての感情が心を支配した。今日、僕と兄が目にしたものは生きている間には決して僕たちには見せなかったであろう私的なものが数多くあった。断片的にメモ書き。書き損じた手紙。届いた手紙の上に鉛筆で書き記された言葉。彼らの息子である僕と兄でも、そこから読み取れるものは少ないが、そこにある両親は、寡黙な父親ではなく、口うるさい母親でもなく、年老いた二人でもなかった。そして、父は父で、母は母で、本当に必死に生きていた、ということを理屈抜きに理解することができた。大変だったけれど大切に育ててくれたんだ、と思うと、自分の孝行がいかに足りなかったことか。
12時、東京駅。15時すぎ、大阪の実家到着。仏壇に手を合わすも、いつも頂骨が置かれていた場所が空いていて少しの寂しさ。16時、某所に兄と出向き懸案の対処。新たな遺品を持ち帰り自宅で確認。思いつく事を兄と話し合う中で新たな先に気づき急ぎ連絡。無碍に断られて当然のところ、すぐに会えた上に事情を細かく聞かず速やかなる解決に必要な事だけを丁寧且つ端的に示されて心から感謝。時計を見ると20時。今夜は絶対に東京に戻らねばならないので出たところで兄と別れ実家に戻らず直接新大阪に向かう。新幹線で移動中、逆の窓側に座った大地真央さん(やっぱすげー美人)に気を取られず(謎)車中黙々とデザイン作業。23 時、東京駅。
今日、両親が亡くなって以来、初めての感情が心を支配した。今日、僕と兄が目にしたものは生きている間には決して僕たちには見せなかったであろう私的なものが数多くあった。断片的にメモ書き。書き損じた手紙。届いた手紙の上に鉛筆で書き記された言葉。彼らの息子である僕と兄でも、そこから読み取れるものは少ないが、そこにある両親は、寡黙な父親ではなく、口うるさい母親でもなく、年老いた二人でもなかった。そして、父は父で、母は母で、本当に必死に生きていた、ということを理屈抜きに理解することができた。大変だったけれど大切に育ててくれたんだ、と思うと、自分の孝行がいかに足りなかったことか。
Tuesday, February 24, 2004
works, today 0224/04
10時、起き上がろうとすると、うぐぐ。こ、腰が痛い。それと連動したわき腹から背中の痛み。無理に立ち上がるとバギッといきそう。なーんかリバウンド出てるっぽい。そのまま横に戻って20分ほど首を揉むと首の痛みが治まり、ようやく起床。朝からおぢさんっぽくて情けない。今朝の某社での会議は昨夜十分に打ち合わせたので、那須に任せて直接会社に向かう。
11時半、午後に訪問する某大手都市銀行のサイトを複数のユーザー視点で1時間ほど利用検証。そこにあるサイト上での問題ではなく裏にある会社事情を考察。直球は僕の得意球だが変化球やチェンジアップを示せないと相手は「それが一番いいのはわかってる」と困らせるだけ。しかし業務部間の連携がほとんどないのがアリアリと見て取れる。まぁどの銀行も不良債権処理問題の次に巨額融資先の経営破綻問題を抱えているわけで、気分としては小口リテール部門の顧客獲得拡大戦略が後回しになるのも仕方ないが、転ばぬ先の杖は丈夫にしておくべき。13時半、大手町。某銀行のリテール部門から状況と方針等を聞く。15 時半、大手町を100mほど歩き某ピザハウスでチームと諸々意見交換しつつ遅めの昼食。16時、帰社。サイトの雰囲気を決定付けるデザイン要素のスタディ。部分のスタディなのだが全体の内容を見切った上で作業。
17時、巨大某案件のプロデューサーF氏来社。仕切りが変わったとのこと。おやおや後退かと思いきや、まったくその逆で最前線でやってちょーとのこと。まずは明後日までの作業色々について、その場で設計開始。しかし互いに確実に実現出来ると確信(それだけの経験を踏んでいる)しつつ、相手の力を尊敬しているので議論の焦点を限りなく高めて行けるので楽しい。さらに、足し算ではなく掛け算モード(ある意味今後のサイト制作に強く求められる能力)も違和感ナシ。その場で何を話しても、互いにそれらを取り込みつつ企画を豊かで意味あるものに向けられる。優秀で、勤勉で、遊び人で、美食家で、温和で、むちゃくちゃ厳しい彼のような人との仕事は、本当に精神的に楽。20時、デスクに戻ってデザイン。23時、ちょっと頭に来たことがあったので直接注意して退社。
11時半、午後に訪問する某大手都市銀行のサイトを複数のユーザー視点で1時間ほど利用検証。そこにあるサイト上での問題ではなく裏にある会社事情を考察。直球は僕の得意球だが変化球やチェンジアップを示せないと相手は「それが一番いいのはわかってる」と困らせるだけ。しかし業務部間の連携がほとんどないのがアリアリと見て取れる。まぁどの銀行も不良債権処理問題の次に巨額融資先の経営破綻問題を抱えているわけで、気分としては小口リテール部門の顧客獲得拡大戦略が後回しになるのも仕方ないが、転ばぬ先の杖は丈夫にしておくべき。13時半、大手町。某銀行のリテール部門から状況と方針等を聞く。15 時半、大手町を100mほど歩き某ピザハウスでチームと諸々意見交換しつつ遅めの昼食。16時、帰社。サイトの雰囲気を決定付けるデザイン要素のスタディ。部分のスタディなのだが全体の内容を見切った上で作業。
17時、巨大某案件のプロデューサーF氏来社。仕切りが変わったとのこと。おやおや後退かと思いきや、まったくその逆で最前線でやってちょーとのこと。まずは明後日までの作業色々について、その場で設計開始。しかし互いに確実に実現出来ると確信(それだけの経験を踏んでいる)しつつ、相手の力を尊敬しているので議論の焦点を限りなく高めて行けるので楽しい。さらに、足し算ではなく掛け算モード(ある意味今後のサイト制作に強く求められる能力)も違和感ナシ。その場で何を話しても、互いにそれらを取り込みつつ企画を豊かで意味あるものに向けられる。優秀で、勤勉で、遊び人で、美食家で、温和で、むちゃくちゃ厳しい彼のような人との仕事は、本当に精神的に楽。20時、デスクに戻ってデザイン。23時、ちょっと頭に来たことがあったので直接注意して退社。
Monday, February 23, 2004
works, today 0223/04
週末中に、コンセプトと具体的な企画内容の整合性を組み立てて月曜日に明快な全体像を示して今週ずごんと前進。という僕の予定タスクを誰かに頼める訳もなく、先週末に味わった久しぶりの燃え尽き感のメンテナンスのツケが来て、明け方まで企画作業。6時頃少し寝たが8時には起きて続きの作業。結局11 時までかかった。12時、出社。おぉ、桃から誕生日ケーキが届いてるではないか。ありがたく美味しく頂く。13時、徹夜で考えたアイデアが問題なく嵌まるかどうかの確認作業開始。与えたいエッセンスが徐々にクリアになってくる。15時、小林さんの写真をヴューワで一枚づつ確認。その中に、何も考えずに分解するとモニター表示で微妙なニュアンスが吹っ飛んでしまいそうな繊細な写真が結構ある。こりゃー秘密の裏技出すしかねーぞという感じ。
16時、某印刷会社の製版担当が来社。先週出稿した案件での特色使用について細かい相談のため、足を運んでくれる。17時、昨夜からの企画をチームにブリーフィング。19時、明日朝一番にあるクライアントでの会議についてチーム内で擦り合わせ。20時、デスクに戻ってデザインの準備作業。21時すぎ、神楽坂の某料亭へ。今月、結構話題になった某キャンペーンの立案者。うひょひょ。まじ。みたいなトーンでの会話だが中身は重い(僕は全然平気)ので回りをきょろきょろ。23時、もう一軒行くと誘われるが今日は勘弁しちくり。23時、帰宅。
16時、某印刷会社の製版担当が来社。先週出稿した案件での特色使用について細かい相談のため、足を運んでくれる。17時、昨夜からの企画をチームにブリーフィング。19時、明日朝一番にあるクライアントでの会議についてチーム内で擦り合わせ。20時、デスクに戻ってデザインの準備作業。21時すぎ、神楽坂の某料亭へ。今月、結構話題になった某キャンペーンの立案者。うひょひょ。まじ。みたいなトーンでの会話だが中身は重い(僕は全然平気)ので回りをきょろきょろ。23時、もう一軒行くと誘われるが今日は勘弁しちくり。23時、帰宅。
Sunday, February 22, 2004
rest, today 0222/04
昨夜、写真家の小林さんと写真というものについて色々と会話した。その中で価値観の話になった。
「全世界を回るとですね、元々自分が持っていた価値観や美意識なんていうものは、実は薄っぺらいものだということを思い知らされるわけですよ。わかってるつもり、知ってると思ってることが、全然わかってないわけです。実際にそこに行っても、あると思っていたものなんてない。そこには何もないんです。でも実はあるんです。知識だけで見ていても見えないわけです」。
彼の口から出たこの言葉は、僕の胸を突き刺した。彼と別れ食事に行き家に戻っても、まだ刺さったままだった。知識と経験、理解と認識…、色々と考えが巡り昨夜は中々眠れなかった。4時就寝。昼過ぎまで惰眠。13時、起床。今日は明日以降の諸々への準備。本棚から色々引っ張り出して企画の準備作業。15時、散歩がてら近くのカフェに行き、右脳と左脳をスイッチ。17時、友人とお茶。僕はビンタンビールを一杯。19時、帰宅。28時、友人宅に移動。夕食をご馳走になる。
「全世界を回るとですね、元々自分が持っていた価値観や美意識なんていうものは、実は薄っぺらいものだということを思い知らされるわけですよ。わかってるつもり、知ってると思ってることが、全然わかってないわけです。実際にそこに行っても、あると思っていたものなんてない。そこには何もないんです。でも実はあるんです。知識だけで見ていても見えないわけです」。
彼の口から出たこの言葉は、僕の胸を突き刺した。彼と別れ食事に行き家に戻っても、まだ刺さったままだった。知識と経験、理解と認識…、色々と考えが巡り昨夜は中々眠れなかった。4時就寝。昼過ぎまで惰眠。13時、起床。今日は明日以降の諸々への準備。本棚から色々引っ張り出して企画の準備作業。15時、散歩がてら近くのカフェに行き、右脳と左脳をスイッチ。17時、友人とお茶。僕はビンタンビールを一杯。19時、帰宅。28時、友人宅に移動。夕食をご馳走になる。
Saturday, February 21, 2004
rest, today 0221/04
年4回を2年間続けてきたセミナーを無事に終わらせることが出来て心底ほっとした気持ちになる。まず何よりも実際に恵比寿まで足を運び講演を聴いて下さった皆さんのお陰(ありがとうございました)。そして同時に日経デザイン編集部全員の方々の深いご理解とご尽力があってこそ。さらにマクロメディアの皆さんにも随分お世話になった。多くの人に支えられ、生かされている。
しかしこの三日間で過激に疲労困憊。なんとか複数の仕事を終えたが、いつもは多くの方々と話す講演後の懇親会の時間も立っているのが精一杯という情けなさ。21時半、編集長から労いを頂き、23時、帰宅。気が抜けたのか、玄関を入ったその後の記憶が全然ない。実際、気絶に近い感じだったようで、靴下とジャケットだけを脱いだ状態で13時頃に目覚める。14時間も寝てた。まさに爆睡。
週末は来週の準備を予定していたが、昼食の途中、頭が勝手に理屈っぽく動くのを感じ今日は休むと決める。14時、帰宅。掃除。溜まった雑誌類を分別して処分。さらに壁一面の本棚の整理。18時、恵比寿のウェスティンホテルで写真家の小林さんと打合せ。彼は明後日から20日間のロケなので、今日しかないということで細かい相談。写真家らしい目線で撮られた絵が心地よい。22時、某店で夕食。噂通り美味に納得。24時、帰宅。
しかしこの三日間で過激に疲労困憊。なんとか複数の仕事を終えたが、いつもは多くの方々と話す講演後の懇親会の時間も立っているのが精一杯という情けなさ。21時半、編集長から労いを頂き、23時、帰宅。気が抜けたのか、玄関を入ったその後の記憶が全然ない。実際、気絶に近い感じだったようで、靴下とジャケットだけを脱いだ状態で13時頃に目覚める。14時間も寝てた。まさに爆睡。
週末は来週の準備を予定していたが、昼食の途中、頭が勝手に理屈っぽく動くのを感じ今日は休むと決める。14時、帰宅。掃除。溜まった雑誌類を分別して処分。さらに壁一面の本棚の整理。18時、恵比寿のウェスティンホテルで写真家の小林さんと打合せ。彼は明後日から20日間のロケなので、今日しかないということで細かい相談。写真家らしい目線で撮られた絵が心地よい。22時、某店で夕食。噂通り美味に納得。24時、帰宅。
Friday, February 20, 2004
works, today 0220/04
水曜の夜をほぼ徹夜に近い形で費やしたが、依然一切の余裕を生まず数分の時間が勿体無い。極端な時間不足に陥った状況が生む独特のイライラ感が続いている。課題は今日の午前10時までに、要件が全然違う資料を2本仕上げること。時計を見ると残りは12時間。今の進捗を冷静に再度自問。一方をなるべく早く仕上げ、残された時間すべてをもう一方に費やす、と決め、同時に2日目の徹夜を覚悟。
徹夜明けの後に大阪に出張して1本終え、休息を取らずに間髪置かずに別件に向かうという状態が今。すでに消耗が激しいのだが気合で行く。あっという間に朝。時計を睨みつつ作業。5時、1本目完成。すぐに2本目の仕上げに着手。10時、雑音が耳に届いてしまう。散漫さのようなものが頭を渦巻く。少し身体を動かすのと同時に軽い休憩は取るがエンジンの回転数は下げない。12時半、渋谷の会場に無事到着。13時、MAX 2004でスピーチ。14時半終了。15時、来週の準備のため連絡等あれこれ。16時半、渋滞で半泣き。17時、少し遅れて講演会場に到着しすぐにセットして講演開始。斎藤さんとの会話は、素晴らしく啓示に満ちた言葉が次々に示され驚くほど濃密な時間。心から感謝。21時、終了。疲れはピーク。
徹夜明けの後に大阪に出張して1本終え、休息を取らずに間髪置かずに別件に向かうという状態が今。すでに消耗が激しいのだが気合で行く。あっという間に朝。時計を睨みつつ作業。5時、1本目完成。すぐに2本目の仕上げに着手。10時、雑音が耳に届いてしまう。散漫さのようなものが頭を渦巻く。少し身体を動かすのと同時に軽い休憩は取るがエンジンの回転数は下げない。12時半、渋谷の会場に無事到着。13時、MAX 2004でスピーチ。14時半終了。15時、来週の準備のため連絡等あれこれ。16時半、渋滞で半泣き。17時、少し遅れて講演会場に到着しすぐにセットして講演開始。斎藤さんとの会話は、素晴らしく啓示に満ちた言葉が次々に示され驚くほど濃密な時間。心から感謝。21時、終了。疲れはピーク。
Thursday, February 19, 2004
works, today 0219/04
Monsoonで軽く食べて3時頃に帰宅。2時間ほど寝て、5時起床。激眠い。いつもの倍の濃さのビターな珈琲淹れて仕事再開。3時間のど集中。8 時、ようやく1本仕上げ。新幹線で寝る気満々で東京駅。9時、朝飯に弁当食べた途端に寝るが、新横浜で乗ってきた隣席の客のお陰で眠れず。グリーンに乗ってんだし少し静かにしろぃ。12時、ホテル阪急インターナショナルに到着。TCDの方々と昼食。13時半、講演。立体的ブランディングについて話す。15時半、無事終了。16時、ホテルのロビーに移動してメール確認。突然ものすごい睡魔が来る。
諸々片付けつつ18時すぎ、大阪にいる弟子と久しぶりに再会。信蔵さん変わってませんねぇ。なんかオマエ老けたねぇ(笑)な会話で互いに相変わらずを確認。早く東京に戻らねばならないのだが話が尽きない。その理由は、僕が独立した時、即座に彼は務めていたデザイン事務所を辞め、最初は手弁当で僕のアシスタントとして馳せ参じてくれた大切な男。どれほど助けられたかは筆舌に尽くせない。彼の支えがあったからこそ今の僕がいる。訳あって東京に来れないのだが最も信頼している人間の一人。彼と接して深い絆を感じる。
諸々片付けつつ18時すぎ、大阪にいる弟子と久しぶりに再会。信蔵さん変わってませんねぇ。なんかオマエ老けたねぇ(笑)な会話で互いに相変わらずを確認。早く東京に戻らねばならないのだが話が尽きない。その理由は、僕が独立した時、即座に彼は務めていたデザイン事務所を辞め、最初は手弁当で僕のアシスタントとして馳せ参じてくれた大切な男。どれほど助けられたかは筆舌に尽くせない。彼の支えがあったからこそ今の僕がいる。訳あって東京に来れないのだが最も信頼している人間の一人。彼と接して深い絆を感じる。
Wednesday, February 18, 2004
MAX 2004 Tokyo
明後日20日の金曜日、マクロメディア主催の「MAX 2004 Tokyo」にてスピーチする予定。内容はRIAについて。MAXが終わったらすぐに恵比寿に移動して夕刻から日経の講演の予定。明日の大阪での講演も含め話す内容が全然異なる講演が一度に何本も重なるのはキツいっす。
works, today 0218/04
7時起床。抜糸後は普通に歩けるのだが、ここ数日右足の傷跡に新たな違和感。傷全体が固くなり傷跡の存在感が増している。しかし抜糸後に大きなカサブタがべろりと取れたのには驚いた。9時、講演準備。過激に時間が足りない。焦りモードでド集中。12時、Hotel Costesとかラウンジ系で過ごしてたが集中力が散漫になったのでUnderworldのJumboで無理くりウキウキモード(謎)に意識の切り替え。レイジーな曲より今の焦り状況には効く。14時、面接。15時、講演準備再開。17時、面接。19時、講演準備再開。21時、RIA関係者会議。23時、今夜は徹夜必至の状況。あー腹へった。
Tuesday, February 17, 2004
works, today 0217/04
疲れていたが頭に残っている会話からの気づきの残像が鮮明で眠れず色々考える。就寝、4時。9時、起床。快晴。晴れが続いていて嬉しい。11時、青山。某社コンテンツ企画会議。12時半、空腹で目が回っていたので講演のための考察を兼ねて「IL PACIOCCONE」でマルゲリータを一人で食べて満喫。やっぱここのピザは最高。13時半、帰社。企画作業を黙々。16時、某大教授来社。色々意見交換。17時半、デスクに戻り諸々。 19時、並木橋。18時の約束に一時間遅れで某社へ。社長・副社長と意見交換。20時半、軽くメシ行きますかと言う事で渋谷橋の「松玄」へ。なぜかそこに弟子も同席してたり。23時、帰宅。さて仕事するべ。
Monday, February 16, 2004
works, today 0216/04
10時起床。今日も快晴。疲れていたのか爆睡し寝坊。11時、定例オヤジ会に遅れて到着。企業経営に関する各専門家が集うので僕にとっては数少ない経済についての勉強の場。12時半、デスクで処務。13時、プチ会議。13時半、講演資料作成。今週三本もあるので頭がこんがらがって半泣き。16時、御茶ノ水で打合せ。19時、帰社。うぉ、orkut経由でAdobeのGeorgeからメール来たよ。子供出来たのね。元気そうでなによりということで次回来日の際に飲みに行く約束。ryzeに較べてorkutは別の繋がり感がある。19時半、講演プロット組立作業を再開。21時、某コンテンツ企画の打合せ。22 時、西麻布。某誌編集長と懇談がてら会食。おぉという嬉しい情報と難しい課題。25時半、帰宅。
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