昨夜寝る前に、中央公論から昨年の11月27日に出されていた「俺の言うとおりにしないと、自民党は終わりだ!」という舛添要一厚生労働大臣の寄稿を携帯で読む。タイトルには自民党とあるが論旨の要点は高齢社会における医療福祉の財源と、彼が考える長寿医療制度の必然性だ。1と2を合わせて、おそらく5000字を超える彼の主張には、当事者としての切迫した思いと、苦悩の末に彼なりに見出した道筋が丹念に説かれていて説得力がある。
以前、自身のパーティで「そんなに俺を叩くなら、オマエ一回やってみろって言いたいね」と洩らしたように、大局を日和りながら物事を曖昧にして先送りしていく政治家の中では、彼はまだタテマエよりも本音のところで政務に向かっているように感じられる部分が多い。そもそも彼が大臣に就任する前に、厚生省は長年に亘ってあれだけずさんな年金行政を行っていたにも関わらず、それを監督してきたはずの過去の大臣の責任は何も問われていない。いまや最高顧問として民主党の親分の座にいる渡部恒三や羽田孜が厚生大臣を務めていた時の監督責任について彼らは何も問われていない。
そんな中で舛添要一氏は官僚を恫喝しながら確実に前進させて来ている。この実績は評価されるべきものだと僕は思っている。また彼が言う現状をスモールデザインと見る見方も同意する。官僚型グランドデザインから政治的にどう抜け出せるかという課題と、そのビジョンを国民に納得させられるリーダー不在という「向こう側」の問題もさることながら、安直に端的に受け取りたがる「こちら側」の想像力が低下欠落しているという指摘も正しい。責任は両方にあるのだから当然だ。
さらにそれを助長しているテレビ報道のあり方についての彼の苦言は、前々から僕自身もそう感じている。自分の理解できないことはすべて「おかしい」と無責任にアジるみのもんた。「庶民の感覚では」と偽善を繰り返す古舘伊知郎。さらに田原総一朗のジャーナリスト気取りには吐き気を覚える。共通するのは、感情に流されることを恥と思わず、近視眼的な問題提起でグランドデザインをずたずたにし、抜本的な解決策を考えられない自分を棚に上げて「責任者出て来い」と吼えるところだろうか。
Sunday, January 04, 2009
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