Thursday, January 22, 2009

ロバート・ケネディの言葉

オバマさんのスピーチを勉強のために翻訳していて(まだ進んでません)、ロバート・ケネディのスピーチを思い出した。そのスピーチは、彼がアンバサダーホテルで暗殺される2ヶ月前、1968年4月のスピーチなので、もう40年も前のメッセージなのだが、いつまでも心に留めておきたい偉大な演説だと思う。このスピーチは、映画「BOBBY」のラストに流れる。去年の11月頃、オバマさんが候補者を獲得し、マケイン議員と大統領選を戦っていたいた時期に、アメリカの思想の背景を確かめたくてこの映画を見直し、見終わったときに思わず巻き戻して書き留めたのがこのスピーチだった(映画を見たときの感想はshinzlog-Cinemasの方に記録している)。アメリカ映画が、その時々の政府の影響を受けて自国のプロパガンダに走りがちなのはよくわかっている。だが、このスピーチは脚本ではなくボビー自身が直接語っているものなので、そういうところを離れて心に響いたのかもしれない。アメリカが再出発しよう、というこの時に、このボビーの精神が生かされていくことを願って、ちょっと長いがスピーチをここに再度記録しておく。

今日は政治を語ることはしません。この機会に、ぜひ伝えたいことを簡単にお話します。アメリカでの心ない暴力について。

暴力は国の名誉を汚し、人々の命を奪います。それは人種に関係ありません。暴力の犠牲者は黒人、白人、富人、貧人、若者、老人、有名、無名。何よりもまず、彼らは人間だということ。誰かに愛され必要とされた人間なのです。誰であろうと、どこで暮らそうと、どんな職業であろうと、犠牲者となりえます。無分別な残虐行為に苦しむのです。それなのに今もなお、暴力は私たちのこの国で続いています。

なぜでしょう?暴力は何を成し遂げたでしょう?何を創り出したでしょう?アメリカ人の命が、別のアメリカ人により、不必要に奪われる。それが法の名の下であろうと、法に背くことであろうと、一人、または集団によって、冷酷に計画して、または激情にかられて、暴力的攻撃によって、または応酬によって、一人の人間が苦労して自分や子供のために織り上げた生活や人生を、暴力で引き裂く。

暴力は、すなわち国家の品位を貶めることです。それなのに私たちは暴力の増徴を容認する。暴力は、私たちの人間性や、文明社会を無視しているのに、私たちは、力を誇る者や、力を行使する者を、安易に賛美する。自分の人生を築くためなら、他者の夢さえ打ち砕く者を、私たちは、あまりにも安易に許してしまう。

でも、これだけは確かです。暴力は暴力を生み、抑圧は報復を生みます。社会全体を、浄化することによってしか、私たちの心から病巣を取り除けません。あなたが誰かに、人を憎み、恐れろと教えたり、その肌の色や、信仰や、考え方や、行動によって劣っていると教えたり、あなたと異なる者が、あなたの自由を侵害し、仕事を奪い、家族を脅かすと教えれば、あなたも、また他者に対して、同胞ではなく、敵として映るのです。協調ではなく、力によって征服し、従属させ、支配すべき相手として、やがて私たちは、同胞を、よそ者として見るようになる。同じ街にいながら共同体を分かち合わぬ者、同じ場所に暮らしながら同じ目標を持たぬ者として。

共通するものは恐れと、お互いから遠ざかりたいという願望。考え方の違いを、武力で解決しようという衝動だけ。

地上での私たちの人生は、あまりに短く、成すべき仕事は、あまりに多いのです。これ以上、暴力を私たちの国ではびこらせないために。暴力は、政策や決議では追放できません。私たちが一瞬でも、思い出すことが大切なのです。共に暮らす人々は、皆、同胞であることを。彼らも私たちと同じように、短い人生を生き、与えられた命を、私たちと同じように最後まで生き抜きたいと願っているのです。目的を持ち、幸せに、満ち足りた達成感のある人生を送ろうと。

共通の運命生きる絆は必ずや、共通の目的を持つ絆は必ずや、私たちに何かを教えてくれるはずです。必ずや私たちは学ぶでしょう。まわりの人々を仲間として見るようになるはずです。そして努力し始めるでしょう。お互いへの敵意をなくし、お互いの心の中で、再び同胞となるために。」(ロバート・F・ケネディ)

全文は以下から読める。"Robert F. Kennedy, Cleveland City Club,April 5, 1968"

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