Sunday, December 14, 2008

白洲正子の言葉

白洲正子の言葉というか、小林秀雄と青山二郎の言葉というか…。いずれにしろ、すさまじいという形容詞が相応しいが、正しい指摘がある。素直に受け取って、理屈こねずに自分の仕事に没頭したい。

小林さんも青山さんも、ずぶの素人が見ても面白いとわかるものしか認めなかった。逆にいえば、説明つきで感心させるものなんて、死んだ芸だと思っていた

何事につけジィちゃんは「意味深長」という言葉を嫌っていた。精神は尊重したが、「精神的」なものは認めなかった。意味も、精神も、すべて形に現れる、現れなければ、そんなものは空の言葉にすぎないと信じていたからだ。これを徹底して考えてみることはむつかしい。生きることはもっとむつかしい。金持ちになった日本人は、これからは精神の時代だ、などと呑気なことをいっているが、相も変わらず夢二の夢から一歩も出ていはしない。そのようなメタフィジックな物言いは、ごまかすのにはまことに都合のいい言葉で、お茶は「わび」の精神の蔭にかくれ、お能は「幽玄」の袖に姿をくらまし、お花の先生は、蜂みたいに花の「心」の中で甘い汁を吸う。形が衰弱したからそういうところに逃げるので、逃げていることさえ気がつかないのだから始末が悪い。

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