Saturday, December 13, 2008

LOVE DISTANCE の続き

あーもー!。「LOVE DISTANCE」のエントリーを読んで、「何がウザいんですか」っていうのばっかり聞かれるんだけど、それを僕に聞いてる人が、これをテレビ番組見てるような視点から質問してるのがわかるので、その位置に立ったら「そりゃー男と女が苦しみながら走るのを中継されたら、そりゃー見ものですよね。はい。」としか答えられない。寛平ちゃんとかエドはるみを見てるのと同じなわけで、しんどそうやなーとか、足痛いんやろなー、頑張ってるなー、っていうのが「使える」ってのはわかってます。もっと言えば電波少年の猿岩石(古い話やなー)とかチューヤン(そういうのおったなー)とかみたいなとこまでサゲても「なんか感動的じゃないですかー」と言われたら、「はい、そうですね」と僕も答えます。

んで、そういう「面白いかどうか」とかはどうでも良くて、全部想像ですけど、これが企画されて行ったときに、例えば「既存のCFに違った存在感を与えるためにはどうするか」とか、「サイトを一回見たら終わりじゃないようにするためにどうするか」とか、「恋人と一緒に見るということ出来るといいね」とか、「男も女もっていう買われ方に結び付けられないか」とか、そういうコミュニケーションが果たすべき役割と、結果に結びつけようという使命からすると、それはもう考え尽くされ、且つ、解決されていて、そこはウザいで片付けるようなモノではなくて、真摯に学ぶべきものがありますし、さすがはGTの伊藤さんだなぁとは思うわけです。

その上で、逆に、この企画を立てつつ、考え抜いたGTの伊藤さんが、なんで10億ミリ走る必要があるのかのところを、どうしてこんなに軽い埋め込みにしたのかなぁ…と。見る必然をどこに求めたのか。終わればわかるよ、と言われたら仕方ないですが、今の状態は、それを求めずに始まってませんかね。これって、要はティザーでしょ。ティザーの概念変えたるんや、っていうことなら静観してますけど、現時点では腑に落ちませんし、商品を買ってくれるお客さんとブランドとの間にどう深い関係を刻むか、とか、それを実現するために実ビジネスまで含めたプラットフォームをどう構築するか、とか、そういったエンゲージメントのための仕組みをコミュニケーションの中にどう埋め込むか、ってあたりからすると、必然がハッキリしないものを「どーよどーよ」って言われたらウザいと思うのは仕方ないでしょ。

さらに言えば、僕はこの企画が、本当にクライアント企業や、いま売らんとしてる商品の価値を向上させることが出来るかどうかという点で練られたのかどうか…、そこも疑問です。まぁこういう話は、広告という分野、ブランディングという分野、コミュニケーションと呼ばれるものの間の終わりなき議論に繋がりますけどね。あと、「失敗して消えて欲しい」というのは言いすぎでした。すみません。謝罪します。失敗を望んでるわけではありません。でも失敗したら怖いな…とは思いました。リスクマネジメントの視点から言えば、「やらせ」って、昨今、社会でどういう評価を得てきましたっけ?みたいなコトがアタマを過ぎります。

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